欧州アート・カルチャー情報
パリ・アート情報「刺繍でつながる、パリ10区の“布の本”。ヨーロッパ工芸の日2026」 Posted on 2026/04/15 Design Stories
フランスでは、職人たちの技を間近で見ることのできるイベントが、毎年春に開催されている。「ヨーロッパ工芸の日(Journées Européennes des Métiers d’Art)」と呼ばれるイベントだ。2002年に始まり、現在ではヨーロッパ25以上の国が参加する大規模な催しになっている。
2026年の開催は、4月7日〜12日までの6日間。期間中は、アトリエ・工房が一般公開されたほか、特別ワークショップやトークイベントなど、フランスの各地で職人たちにスポットライトが当てられた。
どれも素晴らしい機会なのだが、4月11日(土)はフランス人刺繍作家の交流会がパリ10区で行われるということで、実際に参加してみた。

パリ10区の図書館で行われたこのイベントでは、フランスの刺繍作家、オードリー・ドゥマール(Audrey Demarre)さんが主役だった。彼女は、出版社の編集者として20年働いたあと、刺繍作家に転身したという。刺繍好きの祖母の影響で、独学で学んできたそうだ。

※マイクを持つドゥマールさん
プロの職人と聞くと、絵画修復士やシャンデリア職人、庭師、舞台衣装の制作者…などを思い浮かべてしまう。そのどれもが高度で、遠い憧れの世界のように感じるが、今回は「誰もが参加できる」という点において、距離がかなり近かったと思う。
というのは、今年1月から3月にかけてドゥマールさんが講師となり、パリ10区の住民たちと刺繍作品を手がけていたから。地域のシニアクラブや児童施設などに赴き、それぞれの記憶を“人生の地図”として布に刻んでいったという。この日は、そんな作品のお披露目会でもあったのだ。

※ドゥマールさんの作品

※作品はクッションなどに。Instagram
ドゥマールさんはもともと、刺繍で“地図”を表現していたアーティストだ。実際の地形図というよりも情景描写に近くて、自身が好きな場所やモノ、心に残った人々をそこに表している。
パリ10区のプロジェクトでも、参加した人々は自らの「好きなもの」を自由に表現していた。たとえば、あるマダムは刺繍で桜の木や鳥を。ある子どもは自分の名前や、飼っているワンちゃんの刺繍を。そうして完成した布の断片がいくつも重なり、最終的には一冊の“布の本”ができあがることになった。

※マダムの作品

※マダムの作品「人生は美しい」

※子どもの作品

※子供の作品「ノア、パパ」

※作品を集めた刺繍の本が完成
それぞれの人生を刺繍で表現した、布の本。 「見る工芸」から「参加する工芸」への転換がとても興味深かったのと、単なるワークショップを越えた一体感がその場にはあった。
子どもが「パパ」と刺したり、おばあちゃんが「人生は美しい(la vie est jolie)」と刺したり。まるで詩集のような布の本を手に取った人々が、本当に嬉しそうでこちらまで心が温かくなる。ちなみに完成した布の本は、パリ10区の図書館に所蔵を検討しているという。

※裏表紙には「あなたはどこへ?(où vas-tu ?)」と刺繍
自分はこのトークイベントに参加しただけだったが、それでも深い満足感を得ることができた。間口の広い刺繍という工芸、そこから広がる表現の豊かさ、その両方に触れられたからだろうか。
さらに、ドゥマールさんは世界の刺繍作家からも多大な影響を受けているとのこと。紹介してくれた作品のなかには、現代アートと見間違えるようなものもあり、刺繍のポテンシャルをあらためて感じる一日になった。

※同じくフランスの刺繍アーティスト、Cécile Davidoviciの作品。Instagram
ドゥマールさん曰く、「今回は、小さな男の子たちが参加してくれたことがとても嬉しかった」のだそう。たしかに、フランスでは刺繍が5〜6年前から流行しており、今では年齢・性別・居住地に関係なく輪が広がっている。そう考えると、刺繍が現代アートとして考えられる日も実は遠くないのかもしれない。
なお、2026年で第20回目となる「ヨーロッパ工芸の日(Journées Européennes des Métiers d’Art)」は、将来の作り手を生むという、文化の循環そのものを目指している。(大)


