JINSEI STORIES

滞仏日記「十年後の恋」 Posted on 2021/01/27 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、どんよりとした一日だった。
ぼくは相変わらず引き籠り気味で、仕事場にも行かず、ぼんやりと一日家の中で過ごしていた。
昼に息子が昼食をとりに学校から帰ってきたので、茶蕎麦を茹で、昨日の残りのプンタレッラの天ぷらをオーブンで温め直し、二人でいつものように向き合って、つまんだ。
「パパは一日、ここにいて、何しているの?」
と息子が言った。
「仕事とか、掃除とか、ご飯の準備かな」
「誰かに会ったりしないの?」
「誰に?」
「友だちとかガールフレンドとか」
「ガールフレンド? ママ友のこと?」
「でもいいし、誰か、仲のいい女性いないの?」

滞仏日記「十年後の恋」



「仲のいい人はいろいろといるけど、なんでそんなこと言う?」
「だって、そのままここにずっといたら、おじいちゃんになっちゃうよ」
ぼくは噴き出した。
息子は息子なりに心配しているに違いないのだが、他に言い方がないのかなぁ、と思った。
プンタレッラの形状は白菜に似ているけど、結構硬い青々とした葉を持つ野菜である。
それを割ると、中心にアスパラガスに似た形の新芽が隠れている。すかすかの白いアスパラガス…。味はフキノトウにそっくりで、苦味がある。
イタリアではフリット(天ぷら) にして食べるのだ。フラー・ド・セル(塩の華)をちょっとかけるのだけど、かなり、美味い。プンタレッラは冬の野菜なのである。

滞仏日記「十年後の恋」



食べていると、息子が、
「マルタンのお母さんがね、再婚するんだけど、知ってた?」
と切り出した。
「え? マリアが?」
「うん、マルタンが7歳の時に離婚したって言ってたから、ちょうど、十年なんだよ。早いよね」
息子が言いたいことがなんとなく分かったので、それ以上、その話しをするのをやめた。
でも、マリアとマリエは似ているな、と思った。

地球カレッジ

ぼくは恋愛に向かない体質だと自分で納得できたのと、子育てが終わるまでちょっとそういう気分になれなかったので、ママ友たちに囲まれながら、どっちかというとお母さん的な感じで生きてきてしまった。
ママ友のグループフォンに「マリア、なんかいいことあったね!」とメッセージを送ったら、笑顔のマークがすぐに戻ってきた。
それから、新しい恋が始まったのよ、と彼女が告白をし、暇を持て余したママ友たちが、マリアを肴に一斉に宴会みたいな感じになった。…いつものことだ。
彼の写真まで見せられたけど、相手はひげ面の渋目のスペイン人だった。
「マルタンはなんて?」
「だって、離婚してから十年経ってるし、もちろん、応援してくれてるわよ。いつまでも一人だとあの子も辛いんじゃない? 前の人は再婚して子供がいるし」
マリアが語る、恋のなれそめの話しは、マリエにも通じる話しであった。聞きながら、何か軽い邂逅を覚えるような気分を味わった。

滞仏日記「十年後の恋」



ぼくがマリエを想像したのは、2018年の終わり…。
自身の離婚から5年くらいが過ぎようとしていた。そういえば、最初はマリエという名前じゃなく、真理恵であった。
舞台は東京。離婚をして十年、子育てに明け暮れたシングルマザーが、自分よりも年上の謎だらけの男性と出会い、少し強引な磁力に手繰り寄せられるような恰好で、諦めかけていた恋に再び目覚めるというストーリー、…。
真理恵は恋をしても、愛を求めない女性であった。
それは、たぶん、状況をぼく自身と重ねて、ぼくが真理恵に乗り移って考えたことだからであろう。
登場人物と作者の関係というのは説明するのがちょっと難しいけれど、今作では、マリエの中に自分の気持ちをかなり吹き込んでみた。
十年の時が過ぎたのなら、マリエに恋をさせてみたい、と思った。ところが、

滞仏日記「十年後の恋」



小説が完成しかけていたあの頃、この世界に不意にコロナウイルスが出現する。
文芸誌「すばる」の掲載が決まっていたのだけど、担当編集者の川崎さんと話し合い、思い切って舞台を東京からパリに移転させる大工事を行うことになった。
一度は完成した作品だったが、2020年の1月から、その時代の空気感、雰囲気、気配、匂いを取り込みながら、まさにリアルタイムで、新型コロナによるパンデミックの世界を構築していくことになる。
ぼくはパリに住んでいたし、20年近く離れた東京のことを書くよりも、次々に感染者が出はじめたパリの方が切実にリアルに切り取ることが出来たのだ。
2020年3月17日にパリはロックダウンになり、外出できなくなったぼくは一日の大半をこの作品に注ぎ込むことになる。
家から出られない劣悪なロックダウンの環境の中で、ぼくはマリエに恋をさせることで、自分の中の恋情を刺激し続けた。
なので、ここに書かれているコロナ感染が広がっていく状況がリアルなのは当たり前で、それはその日、その日の出来事をぼくがマリエに変わって経験していたからでもある。
あまりに激烈な時代に、厳しい世界にぼくがいたからであろう。
ロックダウンは5月に解除され、作品は夏のはじめに、文芸誌で二回に分けて、掲載された。今、改めてページを捲ってみると、ちょっと驚くべき記述があった。作品の終わりは2021年の12月初旬で終わっているのだが、そこにはこう記されている。
「再びコロナウイルスの感染がパリを中心に拡大しはじめていた2021年の12月初旬に、」
こうならないことを希望するが、ぼくはこの感染症がすぐには終わらないと、2020年の初頭にはすでに考えていたことになる。
終わらない感染症と向き合い続ける人類の中で、人間はどんな尊い恋が出来るのかを、ぼくは書き続けることになった。
そして、ぼく自身、厳しい状況の中で、物語の最終章を書いている。大統領選後のアメリカの混迷なども、だいたい、その通りになっている。
ここまではっきり書かない方がいいのでは、という校正さんからのご指摘もあったけど、作家は未来を書くのが仕事だから、と貫いた。
そして、作品の中でも、現実と同じように、このパンデミックは暫く続くことになる。

滞仏日記「十年後の恋」



しかし、どのような厳しい世界であろうと、人間が生きることの意味、希望、そして、恋愛というものがどれほど大事かを、この作品を通してぼくは今、読者に伝えたかったし、自分のためにも書き上げたかった。
小説「十年後の恋」は、1月20日に発売になった。
少し出遅れたけど、この作品が出版されたことを、いまだ感染が続くパリの街角で、嬉しく思っている。

滞仏日記「十年後の恋」

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