JINSEI STORIES

滞仏日記「自分の未来の輪郭をやっと仄かに見つけた青年であった」 Posted on 2021/10/07 辻 仁成 作家 パリ

地球カレッジ

某月某日、息子は自分が行く(行きたい)大学を1月までに決定しないとならない。
そのためには、まず、その大学を決めないとならない。
そのためには、その大学の説明会にまず出席しないとならない。
フランスの受験生は10校くらい、志望校を決めないとならない、らしい・・・。
彼が行きたい大学と書いたが、彼が入れる大学ということになり、今の彼の状況だと、たぶん、第一志望大学は難しいかもしれない。
つまり、年内、あと2か月以内で、いくつかの、最低、3,4の大学の説明会に行き、そこが本当に自分が進むべき大学が自分で確認してこないとならない。
それから、そこに向けて担任や予備校の先生たちと相談をし、勉強をやり方を決めていくことになる。
だから、今日、ぼくは息子をパトリックのレストランに連れ出し、奥の席で、パトリックが作った和食をつまみながら、
「どうするつもりだ」
と問い詰めた。



友人の死で一日、暗く過ごしていた父ちゃんだが、いつまでも、めそめそしてもしょうがない。心を鬼にして、ぼくは息子と向き合った。
「大学の説明会、自分で行けるよな? こればかりはお前の人生だ、パパは何もできん」
「・・・」
「パパにはフランスの受験システムも大学のこともわからない。ちんぷんかんぷん、だから、君が自分で自分の未来を決めていかないとならない。パパだって、そうやって、大人になった。みんな、一緒だからな」
「分かってるって・・・」
「で、いつ、どこの大学の説明会に行くつもりだ? パリから遠ければ、ホテルに泊まる必要もあるだろうし」
しーん。
「でも、もう10月だ。説明会には行った方がいい。すくなくとも、2校くらいは下見をしてこい」
しーん。
パトリックが、鯖を焼いて持ってきてくれた。

滞仏日記「自分の未来の輪郭をやっと仄かに見つけた青年であった」



「大学、あてはあるのか?」
しーん。
「入れそうな大学はあるのか?」
しーーん。
「どこかには入らないとならないよねぇ・・・」
しーーーーーーん。
険悪なムードになってきた。
「君は今日も、ずっと友だちとネットで喋って遊んでたけど、あんなんで大学入れるのかな? 日本の受験生はこの時期、みんな必死だよ。フランスもそうじゃないの? 君の仲間たちはどうする気なの? ウイリアムは? アレクサンドルは?」
しーーーーーーーーーーーーーーん。
話しにならない。困ったものである。
「11月に、学校で親子面談があるんだけど、パパはなんて先生に言えばいいの?」
しーーーーーーーーーーーーーーん。
パトリックが日本酒を持ってきて、ぼくの前に置いた。小さな声で、サービスだよ、と言った。そうだ、パトリックの同じ年である。



でも、好きなように生きられるなら生きればいい、とぼくは心の底では思っている。
いい大学に入ったからと言って、安泰な時代じゃないし、それよりも大事なことはやりがいのある仕事を得ることだ。
自分が世界の中で、役割を持ち、生きる希望を持ち、生活費を稼ぎ、生きていける環境を築くことなのだ。
でも、いきなり社会には出られない。だから、大学で社会を学ぶ。
受験生の親としてできることは、少しでも彼が自分の人生の道を早く、いい状態で見つけられることで、その道が仮に違っていても、まずはどこかに所属し、自分が何者であるかを周囲を見回しながら考えて、世に出るための飛行訓練をやらせることであった。
世に出たら、生きていくために働いて、生活費を稼いで、社会保障や、保険や、家族が出来れば子供の問題など、どんどん、複雑になっていく。
そのためにも、最初の入り口を整えてやりたい、と必死で思うから、口うるさい親をやっているのだけど、ほんとうはあまりごちゃごちゃ言いたくはないのだ。
お金がすべてじゃないから、野垂れ死ななければ、それでもいいけど、ある程度はしっかりした道を歩かせたいなぁ、と思うのは親心というものであろう。
ぼくのママ友たちからは、
「ひとなりは甘やかし過ぎだけど、本質のところで彼を突き放す勇気がないのよ」
と言われ続けている。

滞仏日記「自分の未来の輪郭をやっと仄かに見つけた青年であった」



食事が終わり、お会計をしようかな、と財布を探していると、不意に息子が口火を切った。
「実は、今日、担任と放課後、進路についてかなり突っ込んだ話しをしてきた」
「ほー」
財布を探すのをやめて、残っていた日本酒を飲んだ。
「それで自分がやりたいことがやっとわかった」
「ほー」
急かしてはいけない。やっと話し始めたのだ。ここは、聞いてやるのがいいだろう。
「ぼくは自分の道が決まった。パパは意外と思うかもしれないけど、かなり専門的な世界に進むことになる」
「ほー」
日本酒は終わっていたけれど、おちょこを掴んで、飲んでるふりをした。彼を見ず、ガラス窓の向こうに広がる、暗いパリの街角を眺めた。
「都市や国家がどうやって成り立ち、形成されてきたのか、この世界の領域を見極めるような仕事のための学問だよ。国土とか、地政学とか、政治や歴史ももちろん関係するだろうけど、コンピューターを使って、たとえば、アメリカとメキシコの国境でどのような経済的政治的力関係が働いているか、ロシア、ブラジル、インド、中国などが今の製造業の中心にあるけど、そのことがこの世界に及ぼしている影響だとか、あるいは、このパリだったら、どういう風にパリが歴史的地政学的に構成され、進化し、人々が動き、移動し、戦争や歴史や感染症とか、様々な影響で、その結果、どういう環境や経済や政治的緊張が生じているか、簡単に言うとそういうことを学ぶ」
「ほー」
さっぱりわからないけど、息子の話しは止まらない。明らかに、自分がやりたい世界を見つけたと確信するような語り口であった。
「そのための大学はリヨンとかリールとか地方にあるから、ぼくは多分、来年の今頃はパリにはいないんだ。いいかな?」
「ほー」
しまった、ほー、じゃなかった。
慌てて、息子の目を見た。真剣な目つきをしていた。
「もちろん。お前が自分で見つけた道ならば、とことんやればいいんじゃないか」
息子は頷き、うん、と力強く言った。

つづく。



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