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退屈日記「それでも春は来る」 Posted on 2020/04/12 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、外出制限下にありながら、一日一度、外出証明書を携帯し、健康維持のために小一時間近所を散歩している。世界が新型コロナのせいでこんなに悲しい毎日だというのに、見てほしい。路地の一角や、封鎖された公園の一隅や、誰かの家の窓辺に今年も春が訪れた。この自然の美しさの前で、ぼくは動けなくなる。自分も実はそこの一部なんだと思う。そことは春のことだ。もしくは自然かもしれない。ぼくらが怯えている現実の世界にまた春が来た。いつもの春だけど、なぜだろう、いつもとは違う春に見える。いつもは気にもしない草花なのに、今年はこんなに気になってしまう。誰にも期待されずに咲かせた花なのだろうに、ぼくはこんなにも励まされている。優しい風が流れていく。眩しくて思わず、目を細めてしまう。

退屈日記「それでも春は来る」



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退屈日記「それでも春は来る」

もしも、外出制限が出されなければ、ぼくはきっとこうやってこの瞬間の草花のことにはきっと気が付かなかっただろう。こんなに時間を持て余さなければぼくはきっとこの小さな花たちを素通りしていたかもしれない。これまで当たり前だった世界とは違うところに本来の世界があることに気づかされた。タンポポの綿毛が付いた種子がそよいだ風に舞って、ぼくの目の前を移動する。飛び散るこの設計図がこうやって世界中にたんぽぽの生命力を展開させているのだ。日本のたんぽぽもフランスのたんぽぽも何もかわらない。まばゆい光りがこんなに美しい球状の縁を彩っている。ぼくはしゃがんで、その美しさに心を奪われ、心を取り戻すことが出来た。

退屈日記「それでも春は来る」

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