JINSEI STORIES

滞仏日記「主婦だけが片づけをしなければならないロックダウン生活に反対する」 Posted on 2020/04/16 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、きっとそれはぼくだけが持っている不満ではないはずだ。ロックダウンをしている人類の半分の家庭できっとおこってる。そこら中にぼくと同じような気持ちを持っている人がいるのじゃないか。外出が制限され、もしくは自粛要請で家族が家に籠っている現在、ぼくと同じ不満を抱えた人が、その気持ちを我慢してキッチンで片づけをしているのだ。ロックダウン生活でぼくがもっとも強いストレスを感じるのは、食事を作ることじゃなく、食べ終わった食器をぼくだけが片付けなければならない、この不公平に対してである。日本各地の主婦(主夫)の人たちにも同じような思いの人がいるだろう。新型コロナのせいで家族が家にいるので、その人たちの生活の世話をしないとならなくなった主婦(主夫)が今までにないストレスにさらされているのだとしたら、これほどの差別はない。食べ散らかして、さっさと自分の世界に戻って行く家族。食器を抱え、キッチンまで運び、洗わないとならない奴隷のような自分の存在に、今日、ぼくはキッチンに積み上げられた食器たちを見つめながら、ついに怒りが爆発してしまった。ぼくは子供部屋の扉を蹴飛ばして、たまには食器を洗ったらどうだ、と怒ることになる。

滞仏日記「主婦だけが片づけをしなければならないロックダウン生活に反対する」

滞仏日記「主婦だけが片づけをしなければならないロックダウン生活に反対する」



そもそも、息子はグレタトゥーンベリの影響で環境問題にはうるさい。ならば、食べ終わった食器はすぐに洗わないと、食べ残した米粒が固まったらそれを洗うために大量の水が必要となるのだよ、とぼくは怒鳴り込んだ子供部屋の中央で仁王立ちになって説教をした。そんなこともわからないで環境問題を声高に叫ぶ君たちはただの子供に過ぎない、と叱った。きょとんとした顔で、息子はぼくを見上げている。
「パパ、そんなに急に怒らないでも、言われたら、ぼくも片付け手伝ったのに」
と笑顔で諭されてしまった。

ということで今日から食器の片づけは、食事作りに続いて、当番制となった。自分が料理をした時は食器も綺麗に片付ける辻家の新しいロックダウン制度の導入である。ぼくは息子に食器の洗い方を教えた。まず、食べ残しの料理を小皿に移すこと、サランラップで包んで、冷蔵庫に仕舞うこと。ご飯粒や食べかすなどは最初にゴミ箱に捨てるように。皿やコップやフライパンはサっと水で濯いでから食洗器に入れ(食洗器のつまりの一番の原因になるから)、木の器やお椀などは手で洗う。洗い終わったものは裏返して水切りをする。割れそうなものは細心の注意を払って洗う。食洗器に洗剤を入れてから環境に優しいボタンを押す。洗い終わったもの、乾いたお皿は元の場所に戻すこと、などを順序だてて教えたのだった。そして、初回なので、ぼくはバレーボールのコーチさながら彼の後ろに立ち、きちんとできるかをチェックし続けた。

滞仏日記「主婦だけが片づけをしなければならないロックダウン生活に反対する」



ロックダウン生活の中で一番大事なことは、日常を失わないことだ。だらだら生きていくと人間はとことんだらしなくなってしまう。その分、主婦(主夫)に負担が押し寄せる。ストレスの強い日々なので、誰もが公平に生きていく必要がある。役割を分担し、お互いのストレスを解消していかないと長いウイルスとの戦いには勝てない。

そうこうしているうちに、出来たよ、と息子がぼくを振り返って言った。覗くと、シンク周りは綺麗に片付いていた。ぼくの口元が緩み、ストレスは消えた。
「おお、やればできるじゃん。よくやったな。これからは交代で片づけをやろう」
「うん。じゃあ、勉強に戻るよ」
息子はそう言って自分の部屋へと戻って行った。めでたし、めでたし。みんなで支え合って、力を合わせ、この長い戦いを乗り切るしかないのである。がんばろう。 

滞仏日記「主婦だけが片づけをしなければならないロックダウン生活に反対する」

自分流×帝京大学