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滞仏日記「マクロン大統領、看護師の奇襲攻撃を受ける」  Posted on 2020/05/18 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、マクロン大統領が病院を訪問した時、不意に看護師さんが呼び止め、たまりにたまった不満を爆発させた。「もう、あなたのことは信頼できないのよ」と女性看護師さん二名が叫んだ。「これだけ頑張ってるのに、フランスの看護師の立場は欧州の中でも一番低い、給料はほとんど変わってない。もしも、コロナの問題がなければあなた見向きもしなかったでしょ?」すると普段冷静なマクロン大統領だったが、立ち止まり、やや興奮気味に応酬しはじめた。彼のこういうところが好きだけど、医療従事者の皆さんの長年の怒りはおさまらない。激しい言い合いのような感じになった。「そんなことはない。就任時から病院の不満に対してぼくはやってるよ。たしかにあなたたちの不満をぼくは訊いた。自分たちの行動が遅いのも分かってる。でも、ぼくは何も約束はしてない、したならぼくは約束を守る」と大統領は身振り手振りで説明をした。このやり取りに全仏のメディアが飛びついた。周りを気にせず言い合う大統領、自分らの不満を大統領であろうと直接言う看護師さん、この辺がフランスの面白いところだな、と思った。こういう場合、他の国のリーダーたちはどういう反応をするのだろう? トランプ大統領だったら? きっと怒って立ち去ったかもしれない。看護師たちの怒りは収まらなかった。「ヨーロッパの大国なのに道具もない、予算減らされ、ベッドも足りない。政治的な発言はいらないから、私たちの質問にあなたの言葉で具体的に答えてください。なんで私たちは2001年に期限が切れているマスク(FFP2タイプ、コロナを通さないマスク)を使わされてるの?」とかなりきつい言葉を投げつけたのだ。これがフランスの医療現場の本音なのだと思った。マクロン大統領は一瞬、言葉を失った。2001年に期限が切れたマスク、という問いかけに即座に応えることが出来なかったのだ。この日、実は医療従事者たちに1500ユーロのコロナボーナスが出ることが決まったところであった。しかし、彼女らが問題視しているのはそこじゃなく、長年低い給料で働かされてきたことへの、道具もなく戦わなければならない現状への、抗議だった。「ぼくは忙しいから行かなきゃいけないけれど」とマクロン大統領がようやく遮ると、「私たちだって患者が待っていて、行かなければならないのよ」と看護師たちがさらに強い言葉の礫をぶつけてきたのだった。



同じようなことが隣国のベルギーでも起こった。こちらは無言の抗議だった。病院を訪問した首相一行の車列が到着すると玄関前に並んだその病院の医師、看護師、医療従事者たちが全員出向かえたのだ。ただし、全員が背中を向ける格好で。この映像はあまりに衝撃的であった。コロナ軍と予算も武器もなく戦う最前線の兵士たちの無言の抗議であった。

滞仏日記「マクロン大統領、看護師の奇襲攻撃を受ける」 



毎晩、20時に、フランス人は窓を開け、医療従事者への感謝を示す「拍手」を続けてきた。ロックダウンがはじまった3月17日からこの運動が続いていた。でも、ロックダウンが解除された途端、あちこちでこの拍手が鳴り止みはじめた。解除の日、5月11日の夜、今日はあるのかな、と息子が言った。20時になったが、静まり返っていた。ぼくは窓をあけた。
「コロナはまだ収束していない」
ぼくらは、誰もいない通りに向けて、いつも通りの拍手をした。いつもなら、人々が出てきて拍手をするのだが、どこの家も、扉が閉ざされている。いつもの人たちは出てこない。解除後、日常が戻って来たので、終わったと思ったのだろう。ああ、もう終わりなのかな、とぼくは思った。そもそもぼくは外国人だし、どこまで率先していいのか、分からなかったけど、息子と叩いた。すると、最上階の老婆が顔をだし、叩きだした。ボンソワー(こんばんは)、とぼくが笑顔を向けると、遅れてごめんね、と合図を送ってくれた。3人の拍手が響いた。通りの端の真面目そうなお兄さんも出てきて、大きく手を叩いてくれた。目の前の大家族、横のご夫婦、上の階のジェローム一家、斜め前の赤ちゃんのいる3人家族らも出てきて手を叩いた。結局、いつものメンバーが揃った。みんな、笑顔だった。そして、いつもより長い時間、ぼくらは拍手をしたのだ。その翌日も、その翌日も、同じメンバーたちは出てきてくれた。「ボンソワレ!(良い夜を)」とぼくは最後に大きな声で言った。皆さんからも、「ボンソワレ」と返って来た。もちろん、今夜もやった。
「パパ、いつまで続ける気? パパが叩くとみんな出てきちゃうよ」
「それはみんなが決めることだ。パパは続けるよ。まだ、コロナとの戦いは終わってないんだから」

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