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退屈日記「友だちってなんだろう。滅多に会わないけど、応援したくなる仲間について」 Posted on 2020/07/13 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、ぼくは、男友だちが少ないのだけど、実は友って言い合うやつが少ないだけで、一目置いてたり、すげぇな、と気になってる奴とか、滅多に会わないけどたまに会いたくなる奴とかはそれなりにいる。ぼくの仲間はみんな、他人の人生に干渉しないので、付き合いやすい。パリにいる日本の中年のおっさんたちは口が悪いし、ミーハーだし、やたら日本人ばかりでつるんで狭い社会で飲んだくれては他人の悪口ばっかり言う、そういうグループに所属すると人間が腐りそうなので、関わらないことにしている。で、友人のマエシン(本名、前田真)だが、パリの料理人なのだ。一年に、1度か2度、会って飲む程度の付き合いだけど、居心地がいい。この男が前にシェフをやっていたレストランで食べた肉料理に感動して、仲良くなった。年齢はぼくよりも一回りくらい下だと思うけど、見た目は遥かに上に見えるし、一見、反社の人みたいで、怖い。身長が2メートルくらいあって、パンチパーマじゃないけど短髪黒髪で、目つき悪いし、最初はうちに呼ぶのが嫌だった。でも、長渕剛さんのファンだそうで、ぼくのギターで「順子」を歌った瞬間、一発で好きになった。ここまで初々しい長渕剛を聞いたことがなかった。ナイーブやな、と言ったら、すいません、地なんです、とはにかんでみせた。実際はおもろい奴…。でも、今日までぼくは一度もこの男から他人の陰口を聞いたことがない。陰口をやたら言う人間をぼくは信用しない。昔、めっちゃ可愛がっていた男がいたが、会う度に、誰かの悪口言うので、本当にうんざりして、というのは俺の悪口もどっかで言ってるやろ、と思ったからだ。ある日、出禁にした。ペラペラしゃべる男も女もすかん。
「順子、君の名を呼べば、ぼくは切ないよ~」
聞いているのが本当に切なくなるような順子で、長渕さんに申し訳なく思った。ほんとうに長渕さんごめんなさい。

退屈日記「友だちってなんだろう。滅多に会わないけど、応援したくなる仲間について」



マエシンは北海道の札幌で育った。手の付けられない腕白で家でゴロゴロしていた。これはいかんと思った料理人のお父さんのススメで、若い頃にスイスのレストランで働くことになるのだが、これが彼の転機となる。次第にフレンチに傾倒していき、本格的に料理人を目指すことになるのだ。この武骨な男の得意料理はジビエである。しかも、トラディショナルなフレンチ・ジビエを得意とする。趣味は銅鍋を集めることだ。ナイーブな順子を歌う男とは思えない直球のジビエはマジに美味い。

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この男の夢はパリに自分の店を出すことだった。働いていた有名レストランをある日、スパッとやめて、失業保険と貯金を食いつぶしながら、子供が次々生まれて大変な最中、奥さんに迷惑をかけながらも、一切の妥協をせず、納得いく店を探し続けることになる。資金が無いので、居抜きで借りれて、出来ればちょっと改造するくらいで営業できる店じゃないとならない。しかし、そんなに都合のいい店がパリで見つかるだろうか、と思った。そういう敷居の高さもあり、物件に出会えない日々が3年も続くことになる。遂に生活が立ち行かなくなり、生まれたばかりの赤ちゃんをマエシンに任せて、健気な奥さんは働きに出た。その上、ビザの問題が降りかかる。何より、この男を苦しめたのは労働ビザだった。スイスで労働ビザを取得していたが、フランスでは通じなかった。札幌の元暴走族のメンタルはどん底まで落ちた。ぼくの知り合いたちがマエシンがやばい、と騒ぎだしていた。あの侍が鬱になりかかっている、と言うのである。そこでぼくは一度、マエシンをオペラ地区の居酒屋に呼び出したことがある。愚痴を吐き出させようとしたのだ。けれども、一切、愚痴らなかった。まぁ、まぁ、なんとか頑張ります、と呟くばかり。見ている方がつらくなる憔悴ぶりだった。家族に支えられながら、焦っていたとは思う。頭を下げて、生活費を稼ぐために知り合いのレストランのシェフを手伝っていたが、落ち着かない日々であったろう。ところが、コロナがじわじわと話題になりだした頃、リオン駅の目の前にいい物件が出現したのである。

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コロナのおかげとは言いたくはないが、コロナが世界中でニュースになり始めていた時期なので、その物件の借り手が見つからなかったのも事実、巡り巡って、素晴らしい物件が、彼の元に転がり込んできたのだ。なんとか、2月末に仮契約をした。しかし、その直後、欧州で感染爆発が始まる。レストラン営業の禁止、外出制限令が出された。やっと見つけた物件なのに、仮契約は済んだが、本契約が出来ないまま世界はロックダウンへ。家から出られない日々が続く。マエシンにとっては気を揉む日々だった。ロックダウンが終わっても、人々が飲食店に戻ってくるかわからない。それでも、この愚直な男は、信念を曲げなかった。腕さえあればやっていける、と自分を信じた。5月11日、ロックダウンは解除され、パリ周辺の感染も収まり、マクロン大統領がレストラン営業の再開を予定より早めたため、前田シェフは営業権の本契約を交わすことになる。7月1日にレストランの鍵をもらって、7月5日オープンと言うのを聞いて、ぼくはひっくり返った。愚直な男とは思えない速度である。ぼくはじっとしていられなくなり、奥さんに連絡をし(実はマエシンの連絡先を知らない)、予約したのである。なんと、ぼくがマエシンのレストランの一番の予約者となった。店の名前は「Aux 2 saveurs」という。実は前のレストランの名前、そのままなのである。看板を変える暇もなかった。そりゃあ、そうだ、鍵を貰って4日後にオープンなのだから…。「Aux 2 saveurs」とは「二つの味」という意味である。もともとはベトナム系の料理人がやっていたアジアンフュージョンの店だったらしい。

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しかし、マエシンにはフュージョンとかそういう今時の料理は似合わない。ジビエを中心とした正統的なフレンチ料理の後継者なのである。地元のフランス人客を相手に日本人が正統派フレンチで勝負するのだ。
「ちょっとはアジアの色も出せばいいんじゃないか?」
と意見をしたこともある。考えときます、と小さく下向いて呟くマエシンだった。廊下に立たされた永遠の不良少年のようなマエシンの姿がかわいらしかった。どこからともなく、「順子」が聞こえてくる。北海道の原野で育ったこの男の気骨が、リオン駅周辺の人々の舌をどうやって捉えるのか楽しみである。dancyuの読者とかには絶対に好かれる、そういう努力の満載のレストランが誕生した。

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子豚のロティ、自家製鴨コンフィ、ハトのパイ包みなどがメニューに並んでいた。前田シェフのパイ包みは一口の価値あり、何度か誑かされたことがある。初日だというのに、店はほぼ満席であった。理由は、通りに面したガラス戸が全開になる。なので、広い店内が半テラス席になる。通り側が全て開いているので換気がよく、まさにコロナ対策万全の安心感がある。もともと、人気店だったので、常連客もついていた。同じアジア系なので、オーナーが一緒だと思われた節もある。さらに、フルコースで40€と、あのボリュームと内容にしては相当安い。リオン駅前で周辺の会社員が入りやすい。働いている子たちも日本人でテキパキしているので好感が持てる。

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食べ終わった客らが、一人、二人と席を立ち、オープンキッチンの中で料理するマエシンの元にやって来て、絶賛していた。それが何人も続いたので、ぼくは嬉しかった。この建物のオーナーがぼくの横にいて、美味しい、美味しい、と頷いていたのが印象的だった。なんとなく、コロナの厳しい最中だけれど、この店が好スタートを切れたことを友としては喜んでいる。10年、20年と続く老舗になれるよう、マエシンには頑張ってもらいたい。ジビエ料理の季節が待ち遠しい。ナイーブな札幌の永遠の不良青年こと、マエシンの快進撃が始まる。

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