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滞仏日記「今、ベルサイユ宮殿から返事が来ましたぁ、と興奮するしげちゃんの巻」 Posted on 2020/08/28 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、昼食を食べ始めたところで、ライン電話が響き渡った。蕎麦を息子と競争するようにつついていたのだけど、というのは、目を逸らしているうちに全部食べられてしまうから毎回蕎麦戦争になる。電話に出るか悩んだのだけど、なんか気になり出ることにしたら、しげちゃんの興奮する声が飛び出してきた。
「辻さん、たった今、フランスから前向きに検討したいって連絡がきたんです。わちし、びっくりしちゃって」
蕎麦を噴き出しそうになった。しげちゃんは江戸っ子なので、私と発音できない。本人は自覚がないみたいだけど、わちし、と発音する。
「前向きの検討って、何がOK? ちょっとしげちゃん、落ち着きなさい」
「はい、これによりますと、ベルサイユ宮殿」
「べ、ベルサイユーーーーー? ルーブルじゃなくて、ベルサイユ宮殿かいな」



しげちゃんが興奮する理由がわかった。それはとっても凄いことだ。凄すぎる。元ボクサーで、介護施設の方々のために小さな旅行会社をやってきた30代の旅行会社社長がいきなり、鯛を釣ってしまったのだ。大手旅行代理店でも正直、難しい。コロナ禍のこの時期に、ベルサイユ宮殿のオンラインツアーを企画し、フランスに前向きの検討を貰えるだけでもすごい。メールにフランス観光開発機構から届いた書類を送ってもらった。それは日本語の書類であった。なるほど、しげちゃんはフランス大使館内にあるフランス観光開発機構に日本語で依頼書を送ったのだ。速達を送ったという前回の話しの意味がやっとわかった。

フランス大使館にあるフランス開発機構さんとベルサイユ宮殿側がやりとりをしているようである。





ともかく、しげちゃんとベルトラは23日の朝に企画書をフランス大使館の観光開発機構に送り、彼らが本国とやり取りをして、許可に漕ぎつけたのだ。よく聞くと、撮影方法やスタッフ人数制限など細かく先方とやりとりをしないとならない。現場の問題はぼくに丸投げであった。でも、しげちゃんはもうやる気になっている。23日に出した企画が28日の今、通ったというのが、現状で、これは本当に凄いことで、しかし、パリにいるぼくはまだ全貌を理解していない。ただ、高画質フルHDで生配信をし、介護施設のお爺さんお婆さんに向けて、ぼくがベルサイユ宮殿を案内するらしい、という朧げな雲行きだけは分かってきた。ベルトラとしげちゃんの会社「旅介」が主宰となる。「旅と介護で旅介なんですよー」としげちゃんは一人で盛り上がっていた。

電話を切ったら、蕎麦がなくなっていた。ごちそうさま、と息子が言って席を立った。食べ損ねてしまった。やれやれ。いったいどうなるものか、と嘆息をついていると、
≪リリースを作っているので、辻さんのかっこいい写真貰えますか? 笑顔で森の中歩いてるやつがいです。そんなの、あります? 大至急ください≫
とラインメッセージが飛び込んできた。 
あかんよ、しげちゃん、勝手にどんどん決めちゃ。

滞仏日記「今、ベルサイユ宮殿から返事が来ましたぁ、と興奮するしげちゃんの巻」

©EPV – RMN



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