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滞日日記「ほのぼのとした死者との対話。迷子になったお寺さんの敷地で」 Posted on 2022/07/31 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、今日は急逝した秘書の菅間さんのお墓参りに行った。
しかし、都心からは、ちょっと遠いところ、神奈川県の伊勢原にある無量寺なのだ。
農地が続く平野の向こうに聳える山の上に、そのお寺さんは建っていた。
初盆を前に、やはり、日本にいるのだから、やっぱ、拝みに行かなきゃ、と思った。
先日の瀬戸内先生のお別れ会の時にも書いたけれど、「お墓参り」とか「お別れ会」というのはどこか、残った者たちがいろいろと納得するためにあるものだ、と思っている。
だから、ぼくは小さい頃から息子に、パパのお墓は必要ないからね、と言い続けてきた。長い時間をかけて、息子を「説得している」という段階なのであーる。
死んでからじゃなく、今のつながりを大事にしてもらいたいし・・・。笑。
大事にされているかは、超、謎だけど、・・・。
なので、無量寺の墓に菅間さんがいないというのは知っている、というか、そう決め込んでいるのに、やはり日本に来たら、拝みに行きたくなるというのは、・・・まさに、それこそがご縁なのであろう。
拝みに行くことが、生き残ったぼくの生前の菅間さんに対する礼儀なのだ、と思ってしまうのであーる。
広々とした平野の先の、三笠風の山を目指した。
都心の景色とは全然異なっている。

滞日日記「ほのぼのとした死者との対話。迷子になったお寺さんの敷地で」



知り合いに頼んで、車を出してもらい、東名高速をまっすぐ、伊勢原へと向かった。連休ということで、海を目指す道は大渋滞であった。
照り付ける太陽がまぶしかった。懐かしい、日本の原風景が広がっている。
こういうことがない限り、伊勢原を訪れることもなかったかもしれない。
牧歌的な田園風景の中に、ぽつんぽつんと民家があり、何にもないといえば何にもないのだけど、自然がいっぱいあって、トンボが飛んでいて、心が優しくなる場所であった。
仏花を持って、寺の敷地に入ったはいいが、驚いたことに、どのお墓に菅間さんが入っているか、よく考えたら、知らないのであった。
ところが、とあるお墓の前で、目を凝らすと、おおお、目の前に「先祖代々の墓、菅間」と書かれてあるじゃないか!!!!
やはり、ご縁があるなぁ、と思い、花立をくるくると回して、水を入れるために踵を返したら、その横のお墓も「先祖代々の墓、菅間」と彫られていた・・・。
「へ、どっちやろう」
途方に暮れて周辺のお墓を見回してみると、・・・。
「あら、ここも、その横も。あっちも! 全部、先祖代々の墓、菅間、となってる」
ぼくは思わず、笑いだしてしまうのだった。
困った。

滞日日記「ほのぼのとした死者との対話。迷子になったお寺さんの敷地で」



どこからともなく、トンボたちが集まってきた。
ぼくは指先をたてて、ここにとまっていいよ、と言った。でも、トンボさんたちは、遠慮されているようで、なかなか、とまってはくれないのであった。
そういえば、菅間さんは人を「クスッ」とさせるのが好きな人であった。
小声で、よくわからない冗談を言って、勝手に、微笑んでいるような面白い人でもあった。
「辻さん、さあ、どのお墓でしょう? 私のは」
「ありゃ。まいったな、こんなにたくさんの菅間家の方々の中から探し出せるだろうか?」
と、その時、納骨の時の写真があったことを思い出したのである。お姉さんが撮影した、真正面からとらえた菅間家のお墓の写真であった。
奥に民家が見えた。お墓の外柵はかなり立派で、周辺でも目立っている。
ぼくはまず、ちらっと映っているその民家を探すことにしたのだ。
すぐに、それらしき家を見つけることが出来た。結構、離れている!!!
そこまで行くと、辺りで一番大きなお墓に、「先祖代々の墓、菅間」と書かれてあった。
納骨の時の写真と照らし合わせたら、符号した。
お墓の横に、故人の戒名や没年が彫られた死者たちの墓誌があった。一番最後に、まだ掘られたばかりの菅間さんの戒名を見つけた。
おった!
「菅間さん、見つけましたよ」
「見つかっちゃいましたね」
そういうやりとりを生きているぼくは自分の心の中で想像していたのである。
ぼくは今度こそ、花立を抜き取り、水を汲んで、そこに買ってきた仏花をたてることができた。
しゃがんで、手を合わせた。
そこには、お兄さん、お母さん、お父さん、それよりももっと先を生きた多くの先祖さまたちが祀られていたのである。
「私が一族を守る」
といって、平塚の実家(その裏には大きな山があって、菅間家は大地主なのであった)を再建した。大きな火事があり、十年ほど前に、ご両親とお兄さんが一緒になくなられている。

滞日日記「ほのぼのとした死者との対話。迷子になったお寺さんの敷地で」



この時の不思議な出来事は、先の日記に譲るとして、その時、菅間さんが、「自分の一族の土地を守るのが自分の役目だ」と語っていたことをぼくは思い出していた。
彼女自身は、日本で最初の骨髄移植(女性)成功例で、24歳で死ぬと言われて、60代半ばまで生きてしまった、と笑っていた。大変な一生だったと思う。
ぼくは手を合わせた。
瀬戸内先生のお別れ会といい、この初盆を前にした菅間さんのお墓参りといい、日本に戻って、祈ることが続いている。
物騒な時代なので、心の準備をせよ、というメッセージかもしれないなぁ、と思いながら、墓地の上を優雅に飛ぶトンボたちをしばらく眺めていたのである。

つづく。

今日も読んでくださって、ありがとうございます。
お墓参りをした後、お腹が空いたので、近くの魚料理の和食屋さん(照國さん)に入りました。周囲にあまりレストランがなく、でも、そこのちらし寿司はとっても美味しかったです。最近、食べた中ではだんとつに、・・・。先祖代々菅間家の皆さんに、ご馳走になったような、豪快な丼に、多謝。
さて、お知らせです。
さて、次の地球カレッジは8月31日に小説教室を予定してます。詳しくはまもなく、発表いたします。課題は「夢」をテーマにした10枚以内の掌編小説、もしくは長編小説の冒頭の10枚になります。ご応募をお待ちしています。近日、地球カレッジ内に詳細を発表いたしますので、心づもりをよろしく。

滞日日記「ほのぼのとした死者との対話。迷子になったお寺さんの敷地で」



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