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滞仏日記「サボテンの心」 Posted on 2019/09/06 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、今日、リハーサルで「サボテンの心」を歌った。すると、悩んでいたぼくの心がすっと楽になった。音楽のやさしさに改めて驚かされた。人間は孤独から生まれ、孤独へと戻っていく一生を背負っているが、30歳の時にぼくは人間の心はサボテンの心だと思った。ぼくら人間が生きる社会や都会を砂漠に譬えて、ぼくは「サボテンの心」という歌を作った。当時、ぼくは毎日、息苦しさを感じてもがいていた。不信感というのがぬぐえず、ぼくは心に棘を生やしていた。その棘は鋭く、人を近づけなかった。きれいごとをいう社会も、お世辞ばかりいう社会も、全否定、批判悪口ばかりいう社会も、リスペクトのない社会も、息苦しかった。何人かの友達や知り合いや仲間やロッカーらが同じころ死んだ。純粋過ぎる彼らはこの濁った社会に適応できなかった。気を付けなきゃ、ぼくも殺されると思って、ぼくは砂漠の中で棘をはやすサボテンになったのだ。

しかし、棘を生やせば変な連中が近づいてくることもないが、同時にその棘のせいでいい人たちも近づけない。孤立が起こった。孤独と孤立は違うな、ということに気づいたのもこの頃であった。孤立するとどんどんギスギスしていく。孤立は社会から切り離され味方や理解者や同調者がいない状態なので、サボテンのぼくは孤立していった。そこである日、ぼくは花を咲かせることに気が付く、それは歌うことだったり、愛を分け合うことだったり、心理的に誰かと繋がっていく作業だった。でも、だからといって群れたり、むやみやたらと組んだりするわけじゃない。自分から独りであることを選んでいるという意識を持っているので、孤独は創作していく上で欠かせない大事な状態となった。そのために花を咲かせるのだ、とサボテンの自分に言い聞かせることになった。砂漠のサボテンはある日、花を咲かせることになり、すると同じようなサボテンが砂漠のそこかしこで花を咲かせはじめたのである。

30歳の時に作ったこの歌は、加藤登紀子さんもカバーしてくださったし、一緒に歌ったこともある。「いい歌よね」と言われた。今日から、オーチャードホールライブに向けてパリでリハーサルが始まった。ぼくがstudioで歌っていると、メンバーがやって来て、言葉が理解できないのに、耳を傾け微笑んでくれた。そこでドラマーのジョゼに、この歌詞についてぼくは仏語で説明をしたのだ。ジョゼも「わかるよ、いい歌詞だ」と言ってくれた。こういうことを言い合える仲間たちはみんな孤独を知っているのだろう、と思った。ぼくはぼくなりに辛い気持ちを抱えて今を生きているけど、30歳の時に作った歌に励まされたのだった。10月12日のライブではこの歌を中心に置いてライブを展開したいと考えている。苦しいと思って生きている同じようなサボテンの心を持った人たちに花を咲かせてもらいたいからだ。音楽のこういう優しい世界観に救われるだなんて、この年になるまでぼくは気づかなかった。ぼくは咲かせたい。

滞仏日記「サボテンの心」

サボテンの心
砂漠の街で生きてる僕たちはこころに棘を生やしているサボテンの心
身を守るために生やした棘のせいで大切な人たちを遠ざけてしまう
嗚呼、星がともる空を見上げてサボテンは今日もひとり
うう、冷たい月の光に包まれて明日を待ち続けている
砂漠のサボテンたちよ、花を咲かせてごらん。きっと誰かが君に声をかけてくる
乾いた街で僕は今日も生きている引き抜かれないために棘を生やして
都会の真ん中でポケットに手を入れて狭い空を見上げてるサボテンの心
嗚呼、強くなればなるほどに僕は一人に戻っていく
うう、疑えば疑うほど誰も愛することができない
砂漠のサボテンたちよ、花を咲かせてごらん。きっと誰かが君に声をかけてくる

滞仏日記「サボテンの心」