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滞仏日記「いかに運気をあげるか。唯一の方法」  Posted on 2019/09/13 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、今日は朝起きたらめっちゃ嫌なことがあったが(だいたいメールで嫌なことは届く)、その後、二ついいことが起きた。嫌なことについては所詮人間にまつわるくだらない出来事なのでここには書かないが、二つのいいことは思わぬところからやってきた。一つは、行きつけのバーに仕事仲間と顔を出したら満席だったので、普段立ち寄ることのない少し離れたバーに向かったところ、(驚くべきことに)行きつけのバーのオーナーがカウンターで飲んでいて、彼がぼくらの酒代を払ってくれた、というフランスではちょっと考えられない(日本でも!)出来事が起きたのだ。ぼくはフランス語もろくにしゃべれないので彼と深い話をしたことがない。いつもブーツを履いて、山高帽をかぶって、飲んだくれてるただの日本人に過ぎないのに、そのオーナーは「うちの常連だし」と言った。しかも、はじめて入ったその店のオーナーたちが微笑みを向けてくれたのだ。仕事仲間が「君、愛されてるね」と言った。ぼくは肩を竦めて、こんなこともあるのだ、とつくづく思った。そして、その直後にぼくの携帯に合格通知が届いたのである。この通知についても言えないけれど、あまりに不意な出来事だったので、呆気にとられてぼくは大笑いをしてしまった。

つまり今日は最初に悪いことが起きたが、それは本当に気が重くなるようなわびしい出来事だったのに、でも、こういうことで負けてはだめだとポジティブな気持ちを引き寄せていったところ、結果として、二つのいいことを呼び寄せることができた。運気があがる兆候のようなものをぼくは昼くらいに感じていた。それはぼく自身がポジティブを引き寄せ、嫌な気配を吹き飛ばすパワー、未来へ向かうエネルギーを欲したことで生まれたまさに運気でもあった。でも、きっかけはそのカフェのオーナーがなぜかそこにいたことであり、なぜか彼がぼくらに奢ってくれたということだ。(実はこの、なぜ、も兆候の一種であろう)その時にぼくは呪縛のような嫌な気配から脱していて、運気があがる前兆を手に入れようとしていた。それは芋づる式にいいことを呼びよせ、ぼくの仕事仲間への感謝などが起こり、ぼくの口を突いて出る言葉は否定よりも肯定が多くなって、最終的にその店を出た後、ぼくの携帯に「おめでとう」のささやかな合格通知が届くことを招いた。つまり、運気があがる前兆をぼくは見逃さなかったことで、最終的に運気を呼び寄せることができたのじゃないか、と思う。これは、物凄い思い込みであり、ばかばかしい勘違いかもしれないが、そういうことも含めて、運気というのは良い空気に囲まれなければ上がらないものかもしれない。特にいいことが起こり始める直前というのは第三者への素直な気配りなどが出来ている時だったりする。ありがとうという言葉も普段より多く出ているタイミングだ。
「こんなことされたら困るよ。ぼくは単なるあんたの客だし、ここはあんたの店じゃない」
「いいや、君が毎朝、うちを利用してくれてることで俺たちも気分がいい」
「バカなこと言うなよ、それはこっちのセリフだ。俺にとってあんたの店は気分転換には最高の場所なんだよ。カフェのオーナーが他の店で客に酒を奢ったら潰れるぞ」
「こういうことは滅多にしないけど、ここは自分の店じゃないからこそ、出来ることだ。いいじゃないか、深くかんがえるな。同じ町内の仲間なんだし、たまには奢らせてくれよ」
ぼくは苦笑し、肩を竦めてみせた。はじめて入った店のバーマンや、たぶんそこのオーナーたちが、いいんじゃないの、という顔をした。きっとこれはまた別のいい運気を連れてくる兆候なんだろうな、と思った。だから、ぼくはオーナーと握手をして別れた。人生はいいことも悪いこともだいたい公平にやってくる。でも、運気という漠然とした気配は呼び寄せた者に従うような気もする。

つまり、運気を上げる方法とは、ポジティブな気持ちで日々生きていることであり、否定の言葉より肯定の言葉を多く口にすることであり、周囲への素直な感謝に他ならない。どんなことがあっても腐らず、前に進もうとする人を運気は見捨てないのじゃないか、と思う。それにしても奢ってもらったブラッディ・マリーは最高にうまかった。ああ、運気があがる。

滞仏日記「いかに運気をあげるか。唯一の方法」