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滞仏日記「掃除洗濯以外の父ちゃんの仕事」 Posted on 2019/11/16 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、先週から給湯器の調子が悪く、たまに暖房無しの寒い生活が続いていた。今日は東京ガスみたいなフランスの会社の人が来て、給湯器のいくつかの部品を取り換えてくれた。さらに廊下の電球が切れていたので、夕方、取り換えていると、学校から戻って来た息子にパシャっと一枚撮られてしまった。
「なんだよ」
下から、ちょっと相談がある、と言われた。脚立の上から、どうした、と訊いた。
「あのね、なんか思いっきりガツンとできないんだよ」
「なんで?」
「なんか、ガツンとやって、どういう反応がかえってくるかわからないし」
息子は壁に背をつき、どことは言えない場所をじっと見ている。
「そりゃあ、そうだろう。でも、それはなんでだと思う?」
「なんで?」
「自分がどう思われてるか気にし過ぎなんだよ」
「そうかな? ま、そうかもしれない…」
「世間とか、社会とか、仲間うちとかに、どう思われてるのか考えて行動するから、ガツンとできないんじゃないの?」
ぼくは再び、電球の交換をはじめた。フランスの電気って、日本みたいに簡単に交換できないのだ。かなり原始的なのである。建物が古いからだと思う。そもそも感電しそうで怖い。だからぼくは掃除用のゴム手袋をはめてやった。

滞仏日記「掃除洗濯以外の父ちゃんの仕事」

「でも、普通、気にするんじゃないの? パパは気にしないの?」
「するけど、でも、そういう時に、逆のことを考えるようにしている」
「それはどんな?」
「みんなパパのこと気にしてるんだろうな、って思うことからはじめる」
「どういうこと?」
「人間って、周りの目が気になるんだけど、周りの奴らって実は自分ほどぜんぜん気にしてないんだよ。君はウイリアムやロマンがやってることいちいち全部気にしてる? してないでしょ?」
「そりゃ、そうだけど、気になるじゃん」
電球がなかなかプラグ(?)に刺さらない。ううう…。
「それは自意識過剰っていうんだよ。世の中かなりいい加減だからね、いろいろと言われるじゃん。辻ってこうだとか、ああだとか、確かに言われるんだよ。でも、無責任な意見だから言った本人はすぐにどうでもいいことになってしまってる。そりゃ、そうだ、他人のことだもんね。しかし、言われた方は、それで委縮して何もできなくなるんだ。パパはある時から図々しく生きることにした。何か言われても、書かれても、自分に非がないなら気にしないって、決めた。当たり前だろ。簡単なことじゃないけど、人の意見に押しつぶされるのはもっと愚かだ。言った連中は面白がって適当なことほざいてる。無責任なんだから、何でも言える。そんなどうしようもない意見や視線に押しつぶされてたら身が持たないだろ? で、関係ね~ってどんどん我が道を貫いていると世の中は、ある日、頑張ったことを認めるようになる。面白いくらい一瞬で世の中ってのは掌を返す。実際は返したわけじゃない。最初から誰のことも気にしてないだけだ。マジだよ。だからガツンとやっとくべきなんだ。どんどん突き進んでいいんだ。わかった?」
やっと刺さった。セメントの粉をずいぶんとかぶってしまった。お風呂に入らなきゃ。給湯器も復活したことだし。
「悪いけど、そこのスイッチを押してくれ」
息子が廊下の電気のスイッチを押したら、灯りが点いた。やった。

「大勢のどうでもいい意見より、一人でいいから君のことをちゃんと見てくれる人の意見を気にするべきだ。恋人や親友や、あるいは父ちゃんの意見だ。そこには真実がある。それ以外の、とくに普段話しをしないような連中に、あの日本人が、とか言われても、ほっとけ。お前がめっちゃ輝いたら、そいつらのお前を見る目も一瞬で変わる。だからと言って、お前は偉そうにする必要もない。その時、君はずっと先を歩いているだろうし、もうそいつらのことも気にならない世界で前向きに頑張ってるって寸法だ。だから、ガツンとやってこいよ」
「わかった。ガツンって決めてくる」
あいつが何をガツンとやろうとしているのか、ぼくにはわからなかったけれど、でも、それでいいのだ、と思った。廊下が再び、明るくなった。暖房もついた。お湯もでる。息子も再び元気になった。これが父ちゃんの大事な仕事なのである。

滞仏日記「掃除洗濯以外の父ちゃんの仕事」