JINSEI STORIES

滞仏日記「息子が目を赤く腫らしながらガイドをする」 Posted on 2019/12/30 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、息子がガイドを務めた。これはかなり珍しいことである。母親のように慕っているぼくのいとこのミナたち一行を三日間にわたり、ガイドした。普段は人見知りだからか、挨拶もきちんとできない子なのに、この三日間は自ら率先してガイドを務めた。まずは自分の高校を見せに連れて行った。セーヌ川で遊覧もやり、シャンゼリゼを案内した。デパートやスーパーで買い物に付き合い、サンジェルマン・デ・プレ界隈を散策し、夜にはエッフェル塔に登った。パリの高校生たちはちょっとひねくれているので、エッフェル塔に登らないことが自慢だったりする。観光地を嫌うパリの子供たち。でも、大好きな叔母のために彼はその掟を破った。最初は「行かない」と言い張っていたが、お別れが近づいてきたからか、突然、「一緒に登る」と言い出した。ぼくがシングルファザーになったばかりの時、ミナがこの子の精神的な支えでもあった。いつもはクールな子なのに、一生懸命、パリを案内している姿がけな気でもあった。



5年ほど前のことだが、「ひとちゃん、あの子、突然泣き出したのよ」とミナから連絡があった。スーパーで買い物をしている時に、ミナのことを「ママ」と大きな声で呼んでしまったのである。何かを見せたくて、遠くにいるミナに向かって、手を振って、「ママ!」と呼んだ直後、その違和感が彼の心を襲った。泣かない子だった。でも、その時は大泣きをしたらしい。ぼくの前では泣いたことがないので、その話しを聞いてぼくも言葉を失った。それから毎年、息子は日本に帰るたびにミナの家に泊まった。彼の家族たちの中で夏の日本を満喫するようになった。小学生、中学生、そして、今や高校生になった。彼がミナに自分の高校を見せる理由がなんとなくわかった。「そんなとこ、見せてもつまらないだろ」とぼくが言うと「わたしは見たい」とミナが遮った。あとで気が付き、余計なことを言った、と反省をした。

ミナは病院に勤めているので、今回のパリ旅行はわずかに三泊の短い滞在であった。けれども、優秀なガイドがこのフランス史上最長のストライキの中、パリを案内したことが手伝って、相当に濃厚な三日間になったことは間違いない。最後の夜、ぼくらはエッフェル塔近くのカフェで夕食をとった。その後、キラキラと輝くエッフェル塔に彼ら一行は優秀なガイドと共に登った。ぼくは一足先に帰ることした。深夜、12時にミナから写真が届いた。
「今、頂上!」
とメッセージが添えられてあった。雲一つない快晴のパリの夜景の写真とともに。
2019年の年末、息子はついにエッフェル塔の頂上に到達したのである。そこに登るまでに彼は15年と11か月もの歳月を要した。二週間後には16歳になる。ずいぶんと大きくなった。一族に感謝しかない。

滞仏日記「息子が目を赤く腫らしながらガイドをする」

自分流×帝京大学