PANORAMA STORIES

三四郎日記「吾輩は犬である。花の都パリは苦手なり。第5話」 Posted on 2022/01/25 三四郎 天使 パリ

とにかく、隣の部屋には犬でも猫でもない恐ろしい生き物がいて、時折、ぐるぐる回転しながら移動している。
ようやくパリにも慣れ、ムッシュを顎で使うコツも覚えて、好き勝手にふるまえるぞ、と思っていた矢先に、飛んだ天敵の出現であった。
それが何者かわからないので、ぼくの心はささくれだって、昨夜は熟睡できなかった。
ムッシュがいろいろと説明してくれていたけれど、何せ、フランス語がひどすぎて、ぼくには今一つ理解が出来ない。
日本語は全く理解できないので、その怪物の正体についてはわからずじまい。
ぼくに向かって、突進してきたが、直前で止まり、Uターンして部屋を出ていった。
得体のしれない何かであることはわかっているが、それ以上のことはわからない。
パリというところは、シルヴァンやナタリーが言っていた通り、奇妙で高飛車で鼻につくごちゃごちゃした煩い場所であることには間違いないし、田舎しか知らないぼくのような子犬には、途方もない大世界なのであった。
森も林も畑も小川も土も岩も石さえない。
わずかにコンクリートの建物の窓際に鉢植えされた植物がある程度、大通りに出れば道の両脇にマロニエが聳えているけれど、不自然な整列が、逆に殺伐さを与えてくる。
公園に行けば、絨毯みたいな綺麗に整理されたこれまた人工的な叢があるけれど、もちろん、自然ではない。
緑が少ない上に、車がやたら走っていて、それが通り過ぎるとぼくの鼻が不意に嫌な感じになる。
酸素が薄い世界で、もっと言えば、青空も少ない。
犬の園は扉を出たら大自然が広がっていたけれど、ここはいくつものドアを開けないと外に出られないばかりか、その上、出ても、コンクリートとかアスファルトと呼ばれる冷たい物質で塞がれている。
人間はそこを「花の都」と呼んでいるらしい、とボス犬がぼくに言った。
「そんなところ犬が生きる場所じゃねぇ。お前は可哀そうな子犬だ」
世間知らずのボス犬が負け惜しみで言ってるのに違いないと思ったけれど、それは本当のことだった。
何が楽しくて、ムッシュはこんな場所で生きているのだろう。
狭い土地で、遠慮しあって、何か心を隠すように、どこか窮屈な思いをして生きている人間という生き物は、まことに寂しい動物ではないか。

三四郎日記「吾輩は犬である。花の都パリは苦手なり。第5話」



今日、ムッシュが笑顔で、
「三四郎。オペラに連れてってやるぞ」
と仏語で言い出した。
そのあとは日本語だったので、よくわからなかったけれど、オペラというのはどうやら、このパリの中心地のようだ。
どうでもいいことだけれど、お出かけをする時、ぼくはセーターを着せられるのだけど、これが何で着なきゃいけないのか、まだよくわからない。
ぼくが生まれた田舎じゃ、どの犬もそんなものは着ていなかった。
でも、ここでは、すれ違った多くの犬たちが、見事に着こなしていた。
よくわからないけれど、可愛がってもらっている証拠のようなものかな、と想像をしている。

三四郎日記「吾輩は犬である。花の都パリは苦手なり。第5話」

※ ムッシュの足のあいだで、寝るのが大好き。守られているような安心感があるんだよ。



でも、一番苦手なのは首輪だ。
首輪なんてしたことがなかったので、初日、いきなり、首に革紐を巻き付けられたので、それが嫌で嫌で仕方なかった。
その上、人間はリードと呼ばれる長い紐をその首輪につけて、引っ張る。
首がもげるよ、と思うくらい、引っ張られる。ぼくだって、歩きたくない時もあるし、もう少し匂いを嗅いでいたいのだけど、
「三四郎、汚いから、そんなの嗅いじゃダメだよ。病気になっちゃう」
とムッシュはうるさい。
あ、それから、ムッシュはいつも携帯を持っていて、写真ばかり撮っている。
携帯はステファンも奥さんのナタリーも使っていたのでその存在は知っていたけれど、田舎の人間たちは携帯で家族や友達や仕事仲間と笑いながら長話している。
都会の人はみんな携帯に顔がくっつくくらい覗き込んでいる。
昨日、ムッシュに生まれて初めて「TikTok」と呼ばれるテレビみたいなものを見せられ、しかも、それは全部、人間と犬のコミカルな短いフラッシュ動画で、
「三四郎、ほら、見ろよ、見てごらんよ、めっちゃ笑えるだろ」
とムッシュが一人楽しそうだったけれど、それは実にくだらない、下品な内容だった。
しかも、都会の人間たちは歩きながら携帯を見ている。
ムッシュもぼくと散歩しながら、せっかくオペラにやってきたというのに、景色なんか見ないで、ずっと携帯を見ている。
で、時々、思い出したように写真を撮る。
ぼくの顔の前にその四角い機械を翳すの、ほんとうに迷惑なんだけど、わかってるのだろうか? 
自分がされたら、どう思うか、ちょっと想像してみればいいのに、
「サンシー、サンシ、こっち見て、はい、可愛いィねー」
とか言いながら、
・・・バカじゃないの?

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それでも、ぼくはムッシュに愛されていることがわかるから、文句は言わないし、彼の孤独に付き合ってあげるのがぼくのこれからの役目なんだろうな、と思っている。
ムッシュが運転する車の助手席にぼくは今日も乗った。
最初は酔って吐いたけど、毎日、載せられているからか、慣れてしまった。
ともかく、オペラは凄まじかった。
車の数もすごいけど、賑やかで、華やかで、落ち着かない世界だった。
ムッシュはぼくを子犬用のキャリーバッグに詰め込んだ。
それは頭だけ出せる子犬だけが利用できるスペシャルな移動手段・・・。
その中にいる限り、怖くないし、寒くないし、世界が騒々しくても、ある程度は安心していられるので、思い付いた人は偉大だと思った。
ムッシュはヴァンドーム広場でも、オペラ大通りの横断歩道の真ん中でも、携帯で、ぼくと2ショットを撮影していた。
ぼくに頬を押し付け、自分の携帯に向かって微笑んでいるムッシュは、本当に寂しい人だな、と思った。

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でも、仕方がないし、ちっともこっちは面白くもないのだけど、ご奉公だと思って付き合ってあげた。
ぼくは自分の部屋でボールを投げてもらって、それを追いかけている時の方が千倍楽しいのだけど、ムッシュは人間だから、価値観が違うのだ。
つまり、ぼくは買い物に付き合わされたということのようだ。
ムッシュは何も買わなかったけれど、パリは今、SOLDE(セール)と呼ばれる時期で、服とか靴とかが半額で買えるんだよ、サンシー、と自分勝手に盛り上がっていた。
そして、ぼくは生まれてはじめてレストランにも入った。
それも、かなりゴージャスなレストランで、そこはどのテーブルにも白いキレがかかっていて、広々としていた。
ぼくは窓際の広い席にムッシュと陣取った。ムッシュは椅子に座り、ぼくはムッシュの足元に置かれた。
少し遠くのテーブルにはカップルが座っていて、足元にプードルがいた。
お店の人がブーケのようにキレイにカットされた不自然なプードルに水の入ったお皿を持ってきて、丁寧に置いた。
その子がお上品にお水を舐めていた。
これが、パリというところなのだ、とぼくは自分に言い聞かせることになる。
滑稽だけれど、いつかこの世界にも慣れるのだろう。
ぼくは幸せそうなムッシュを地面から見上げていたけど、退屈だったから、そのまま眠りに落ちてしまった。
犬の幸せについて、あなたは何を思うのであろう。

つづく。

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Posted by 三四郎

三四郎

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2021年9月24日生まれ。ミニチュアダックスフント♂。ど田舎からパリの辻家にやってきた。趣味はボール遊び。車に乗るのがちょっと苦手。