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三四郎日記「ムッシュというとっても変わった日本人について」 Posted on 2022/02/08 三四郎 天使 パリ

吾輩は犬である。主人はかなり変な日本人だ。
パリにやって来てからのこの二週間、ぼくは相当に疲れきったが、でも、次第にここの空気にも慣れてきたし、何より、新しい家での生活のリズムが掴めるようになってきた。
ただ、ぼくは日本人のことはあまりよくわからないし、犬の園のご夫婦、シルヴァンとナタリーと比較するに、ぼくの新しいご主人であるムッシュは、実にちょっと不思議な人物で、根が異常に暗い・・・。
いつも携帯でぼくを撮影しているし、パソコンと呼ばれる四角い機械とにらめっこしているし、ギターもよくつま弾くのはいいとして、何かぼくがちょっと悪さをすると、切れるように怒るし、不意にゲラゲラ笑うし、びっくりするような調子でふざけるし、かと思うと、何かを飲んで暗い椅子の上でぽつんと沈み込んでいる。
その人しか、ここにはいないから(息子君がいるけど、彼は自分の部屋と学校を行き来しているので、めったに顔をあわせない)、ぼくはだいたい、ムッシュの顔色を見て、生きている。
遊んでくれる時が大好きで、膝の上で寝かせてもらえるのはもっと好きで、でも、怒る時のあの別人のような変わりようは、どの瞬間、何が原因で怒ってそんな怖い人間になるのか、と思うほど理解出来ず、ちょっと病気じゃないのか、と心配にもなる。
一言でいえば、変人、かもしれない。あまり人間のことは知らないけれど・・・。

三四郎日記「ムッシュというとっても変わった日本人について」



皮膚の色や、もちろん長い髪の毛の色も、目の形も背格好も、いわゆるフランス人とはぜんぜん違うのだけど、そういう外見的なことだけじゃなく、彼はやっぱり変だ。
シルヴァンにはナタリーという奥さん、そして幼い3人の子供たち、40匹の犬たちがいたけれど、ムッシュにはジュートという名前の息子がいるだけ、だからなのか、なんとなく寂しそうな感じがつねに漂っている。
彼は、朝は恐ろしいほど不機嫌な感じで起きてきて、ぼくが飛びついてもぼんやりしていることの方が多いし、たまに払いのけられる。
ぼくがしたポッポ(うんち)とピッピ(おしっこ)の片づけをして、ぼくに餌を与えてくれるのだけど、そのまま長椅子に倒れこんで、再び寝てしまったり、・・・つまらない。
ムッシュの喋る日本語はぼくにはまだ理解出来ないが、「まて」「おいで」「おて」「だめ」「よしよし」「ごはん」「さんぽ」などいくつかの日本語をぼくは今日までに理解することができた。
思うにムッシュは朝がかなり弱いのだけど、夜中にぼくが一度は起こしてしまうので、その時はもっと不機嫌で、怖い顔と爆発するような髪形でぶつぶつ文句を言いながらポッポの片づけをやっている。
でも、ぼくはムッシュが大好き。
ムッシュがなぜいつもぼくの傍にいるのかわからないけれど、彼はこの二週間、ぼくから片時も離れず傍に居続けてくれている。

三四郎日記「ムッシュというとっても変わった日本人について」



シルヴァンはスーパーで午後働いているので、ナタリーと交代でぼくらの面倒をみているし、彼らの幼い子供たちもいるので、朝から寝るまで犬の園は大忙しだった。
個人を出すことなどできなかったし、集団生活は小さなぼくには難しかった。
ムッシュは出かける時もぼくを肩掛けのキャリーバックに入れて連れていくし、一人にされたことがない。
家のどこかにはいるから、わん、と吠えるとすぐに飛んできてくれる。
昼くらいになるとちょっと機嫌が戻って来て、基本はとっても明るい人で、遊ぶ時は真剣に遊んでくれる。
ムッシュはジュートを育てただけあって、男の子の扱いはまあまあ上手で、結構、乱暴にぼくを扱ってくれるのだけど、それが実はちょっと嬉しい。
犬の園には40匹くらいの仲間たちがいたので、シルヴァンに遊んで貰ったことはほぼない。
パリに来てよかったな、と思うのは、一日中、ぼくだけの世話をしてくれる人が傍にいること、遊んでくれる人がいることだ。
そして、ぼくはムッシュの膝の上で昼寝をする。
ただ、そんな優しいムッシュが豹変するのは、彼が食事をする時、それから机に向かって何か仕事をしている時なんかに吠えると、とてつもなく怖い目で睨まれる。
尻尾をふって、わんわん、叫んでいるぼくを冷たい目で見降ろし、「ダメ」という。
それでも、吠え続けていると、例のフライパン(そういうらしい)をトンカチで、カン、と叩く。
ワン、と吠えると、カン、となるので、ぼくは騒音に敏感だから、これは吠えちゃいけないんだな、とわかってきた。
「今はお前の相手は出来ない」という合図だと理解出来るようになった。

三四郎日記「ムッシュというとっても変わった日本人について」



言葉が通じない日本人なので、ぼくも彼の顔色や態度から、ムッシュの状態を判断しないとならない。
でも、食事が終わればまたやって来てくれて、遊んでくれるし、ちょっとずつ、ぼくも甘えすぎちゃいけないこととか、夜には吠えちゃいけないことなんかを学んだ。
シルヴァンがエルバー(ブリーダー)とスーパーの店員という二つの職業を持っているように、ムッシュにも、パソコンで何かする仕事とギター弾きという二つの仕事があるみたい。
たぶん、そんなことをぼくに呟いていた。これが、パパのお仕事だよって・・・。
机に向かっている時はどういう仕事をしているのかわからないが、この時に吠えると、悪魔みたいな顔になり本当に叱られる。
フライパンを叩く頻度が一番高いのがこの時だ。ピリピリしているので、近づかないにこしたことはない。
逆にギターを弾いている時は穏やかで、ぼくはこのギターというものの優しい音色にうっとりさせられる。
ギターにあわせて震える、ムッシュの掠れた声も嫌いじゃないので、その時は吠える必要もないから、ぼくはギターの傍にいさせてもらえるし、ムッシュが時々、笑顔になって、ぼくに向かって歌ってくれるので、ぼくの尻尾は自然と大きく左右に振れてしまうのだ。でも、怒られることもある。
だってぼくだってギターを弾きたくるじゃないか。
近づき、前脚でギターの中心をがしゃがしゃとやった時だった、「ダメ」といういつもの言葉が飛んでくる前に、ひっぱたかれた。
「ダメだ。ぜったいダメ。わかるか、ギターには触るなよ」
たぶん、そのあと、睨まれ、そんなことを言われた。
ぼくは自分の手を舐めた。
たしかに、肉球が邪魔だし、爪は小さくて尖っているから、あんなに器用にギターを演奏できない。そもそも指がね、短い・・・。
ギターが弾ける犬になりたいけど、諦めるしかないのだろうか・・・。
「まいふぁにー・ぶぁれんたいーん。すいーと・こみっく・ぶぁれんたいーん・・・」
ずっと聞いていたくなる、やさしくて切ないメロディで、なんといえばいいのかな、ぼくのどこかがきゅんとなる。犬にだって感情があるのだ。
食べること、遊ぶこと、寝ること以外で、ぼくの好きなものをあげなさいと言われたら、迷わず、このギターとムッシュの歌をあげたい。

でも、この都会には、こんなに優しい音ばかりか、いや、むしろこういう美しいメロディなんて少ない方で、あとはぼくの耳を傷めつけてくる騒音ばかり・・・。
散歩は嫌いじゃないけど、ぼくを立ち止まらせるものは、オートバイの騒音、トラックの騒音、クラクション、工事現場の機械の音、サイレン、とくに苦手なのが、天敵といってもいいゴミ収集車の作業音なのだ。
あれはもう、奇々怪々な様々な音をたてながら移動してくるので、まさに怪物といってもいい。
最近、ムッシュはゴミ回収車が近づくと、ぼくを抱き上げてくれる。
腕の中にいる時、ぼくは安心できる。
ムッシュは確かに他のフランス人とは違って、見た感じもかなり独特で変だけど、でも、その不思議なムッシュはぼくの親みたいな存在になりつつある。
ぼくはずっと、ここにいたい。
そうだ、これはぼくの希望でもある。

つづく。

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Posted by 三四郎

三四郎

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2021年9月24日生まれ。ミニチュアダックスフント♂。ど田舎からパリの辻家にやってきた。趣味はボール遊び。車に乗るのがちょっと苦手。