PANORAMA STORIES
ぼくが20年前に命名した蕎麦の名店「打心蕎庵」 Posted on 2026/08/11 辻 仁成 作家 パリ

おつかれさまです。
今から、20年前、ぼくが命名した蕎麦屋が下北沢、森厳寺の真正面に誕生しました。
店のオーナーの伊東さんが、ぼくに、「ぜし、名前を付けてほしい」と言われたので、いろいろと悩んで、「打心蕎庵」(だしんそあん)と名付けました。
なぜ、命名したのか、というと、ぼくはそこに隣接する伊東さんのマンションに長年住んでいたから、そのよしみで・・・。
「ぜし!」
とお願いされたからです。「ぜひ」じゃなく、江戸っ子は「ぜし」と発音します。
伊東さんは74歳、めっちゃかっこいいおじさんです。
☆
20年前から、行列が出来る店でしたが、今日も長い行列が出来ておりました。
「すいません」
と頭を下げながら、ぼくは特別な客として招かれたのです。
なぜなら、ぼくがそこの名前を付けたのですから・・・。
そして、店の奥にぼくがオープンの日に書いた「言葉」が飾られています。
「人は苦心し、骨を折り、最後に、心打つものに、辿りつく。仁」



ここの蕎麦は厳選された、十割蕎麦で、あじわい深く、個性があり、ぼくはいつものごとく、蕎麦には、塩と日本酒をふりかけて頂きます。
「辻さんはいつも、日本酒を蕎麦にふりかけ、塩ですものね」
壱岐の天然塩をそっと、ぼくの前にさし出す伊東さん。
「でも、うちのタレは苦心しているんです。骨を折ってこしらえております、ぜひ、お試してください」
ということで、胡桃だれ、梅だれ、をだされて、掟破りのタレ付けをしてみました。どっちも、超個性的でうまかったです。
「蕎麦は気取っていただくものじゃないから、うちは予約はないんです」
だから、みなさん、並んでいます。でも、下北駅からけっこう歩く場所なのに、地元民で満席、入れない人が木陰の席に腰掛け、順番を、待っておられました。
「美味い!」
蕎麦寿司も、海老も、卵焼きも、なにもかも、絶品でございました。


伊東さんです。
ぼくは伊東さんのマンションで、「海峡の光」「白仏」「冷静と情熱のあいだ」「愛をください」を書き上げました。
だからこそ、下北沢を舞台にした作品が、めっちゃ多いのです。



ここの名物は20年前から、これです。
「皿焼酎」
すだちの薄切りは、種を丁寧にとって薄切りしたものを氷の上に並べ、豪快に焼酎をそそいだもので、夏はこれに限ります。
個展の疲れも、一気に吹っ飛ぶ豪快さでございました。
フェミナ賞の受賞の連絡がフランスから届いたのも、伊東さんのマンションに住んでいた時でした。伊東さんの家族が真っ先に喜んでくださり、そうそう、待ち伏せる週刊誌の記者さんから、逃がしてくれたのも、伊東さんでしたね。裏口から、あはは。
☆
だから、ぼくは恩返しのつもりで、蕎麦屋の名前を考えたのですが、あれから、20年、店はますます、繁盛しておりました。
コツコツと蕎麦を打ち続けたお店の皆さんの努力のたまものだと思います。
おめでとうございます。

伊東さんは、合心酉庵(がっしんうゆうあん)という焼き鳥屋さんも下北駅周辺でやっています。
そこは、昼間だけ、「KAGUYA」という、抹茶のお店になるんです。
蕎麦をすすったあと、下北を横断し、KAGUYAに行って、抹茶ラテを頂きました。心地よい風を感じる、ひと時でございました。
久しぶりの下北沢を堪能した父ちゃん、実に幸せでしたよ。
ご馳走さまでした。
☆
父ちゃんの聖地、「打心蕎庵」、ほんとうに何を食べても美味しいので、お近くの皆さま、どうぞ。店の奥に、20年前の父ちゃんの熱血言葉が飾られております。
「辻さんの名前を今まで宣伝に使ったことはありません。わたしは、ここに書かれた言葉を信じ、コツコツとやってきました。結果が、今のこの店の自慢なのです」
嬉しいですね。
そういうところが、江戸っ子の粋というものだと思います。
だから、あえて、言わせてください。20年のレベルの高さは、ほんもの、です。
蕎麦の三種盛り、美味かったです。
心を打つ蕎麦の庵、・・・。


父ちゃんの独り言、&、近況のようなもの。
今日、11日の17時で、辻仁成展「鏡花水月」は終わります。ありがとうございます。今日もたくさんの皆さま、お越し頂きました。63点の我が子たちよ、幸せになってください。またいつか、きっと会えます。そして、ぼくは、蕎麦で幸せになり、この秋の展示会にむけて、動き出します。
☆
下北沢の代沢三叉路周辺が、小説「オキーフの恋人、オズワルドの追憶」の舞台です。この写真のあたりに、主人公とスーチーが住んでいました。自分の作品の中で、もっとも好きな小説が、この、「オキーフの恋人、オズワルドの追憶」なんです。下北をいつかまた描いてみたいですね。えいえいおー。

Posted by 辻 仁成
辻 仁成
▷記事一覧Hitonari Tsuji
作家、画家、旅人。パリ在住。パリで毎年個展開催中。1997年には「海峡の光」で芥川賞を受賞。1999年に「白仏」でフランスの代表的な文学賞「フェミナ賞・外国小説賞」を日本人として唯一受賞。愛犬の名前は、三四郎。



