PANORAMA STORIES
ノルマンディーの亜麻畑で、一期一会の奇妙な食卓 Posted on 2026/07/13 ウエマツチヱ プロダクトデザイナー フランス・パリ

何か面白いことが起こりそうな予感がし、絶対行かなければという気持ちになった。
きっかけは、あるインスタグラムの投稿だった。そこに映し出されていたのは、ノルマンディーと思しき海岸の岩場に設えられた、絵画のように美しいテーブルコーディネート。波打ち際に置かれたテーブルにはリネンのクロスがかけられ、貝の形をした食器が並んでいる。クロスの裾は海水に浸かり、しっとりと濡れていた。こんな場所で食事を!?と驚きつつも、海の自然美と整然としたしつらえの対比に、すっかり心を奪われてしまったのだ。

※© BON.ENDROIT
そのアカウント主の名前は「ボン・アンドロワ (BON ENDROIT)」。主宰のアレックスさんは「ラ・ターブル・サンギュリエール (La Table Singulière)」という一期一会のレストランを主催している。直訳すれば「奇妙な食卓」。「普段は決して食事をしないような意外な場所に、しつらえを整えた大きな食卓を用意する」というコンセプトで毎回、食事の舞台を変える。パリで流行している期間限定のポップアップレストランの、さらに先を行く試みだと感じた。

※周囲に咲き乱れる麻の花や麦の穂を使った、さりげないアレンジ
今回の舞台は、ホームリネンブランド「アンブラン(EMBRIN)」の亜麻(リネン)畑だ。ノルマンディーで4世代にわたりリネンを生産してきた彼らの畑は、ちょうど収穫期を迎えていた。麻の実がたわわになる中を歩き進むと、パラソルの下に設えられた美しいテーブルに辿り着いた。
20名のゲスト、地元のシェフ、旬の食材、そしてこの日のために選ばれたアンティーク食器。アレックスさんは「風景や美食、そして人々との出会いが、食事そのものと同じくらい大切な意味を持つような、時が止まったかのようなひとときを共有したかった」と語る。

※思いがけない色使いと素朴な花の織りなすコーディネート
それは、見たこともないほど独創的なコーディネートだった。細長いテーブルが縦方向に半分ずつ、鮮やかに色分けされているのだ。一方は爽やかな空色のピンストライプ、もう一方はこの土地の色を思わせるテラコッタ。空色のクロスには艶やかなアンバーの食器が、テラコッタのクロスには清涼感のあるライトブルーの食器が、それぞれ並び、色と質感のコントラストが「空と土」の関係を象徴しているようだった。周囲の風景がそのままテーブルに溶け込んだような、完璧な世界観だった。もちろん、このリネンのテーブルクロスは、アンブランがこの日のために制作した特注品。

食事は、すべて「麻」をテーマにしたフルコース。まずは、麻の種が練り込まれたバターから。初めて口にする香ばしい粒々と、クリーミーなバターの意外な調和に驚かされる。続いて、燻製干し草仕立ての卵のコンフィ、ビーツとニシンの亜麻ヴィネグレットソース。メインは、亜麻を食べて育った豚と地元の根菜のグリルだ。付け合わせの小さなジャガイモは、まさにこの畑のすぐそばで育ったものだという。口の中でピュレのように滑らかにほどける質感に感動した。大皿をシェアするスタイルなので会話も弾み、ついつい手が伸びてしまうが、食べ過ぎないよう自分に言い聞かせた。

※ビーツとニシンの亜麻ヴィネグレットソース

※亜麻を食べて育った豚と地元の根菜のグリル
アレックスさんが掲げた「人々の出会い」というテーマ通り、私たちは素晴らしい縁にも恵まれた。隣り合わせたのは、会場である「アンブラン」の若き経営者夫妻、カミーユさんとアレクシーさん。祖父から引き継いだ亜麻畑から、リネンの生産まで一貫して手がけるように事業を拡大したのは彼らだ。ちょうど日本を特集したテレビ番組を見たといい、日本に興味津々、ぜひ旅行してみたいということで話が弾んだ。私もリネンに関して聞きたいことがたくさんあり、質問攻めにしてしまった。

※「アンブラン」のアレクシーさんとカミーユさん
亜麻の栽培は、一度収穫するとその後、5年間は同じ土地で育てられないという。連作してしまうと、土壌中の栄養バランスが崩れるからだ。そのため、隣の畑では麦が育てられていた。60ヘクタールもの広大な畑を持ちながら、毎年すべてを亜麻に充てられるわけではない。農作物としての効率の悪さや苦労がありつつも、彼らはそれを補って余りある亜麻の魅力について語ってくれた。
帰り際、古いレンガと火打石造りの納屋を改装したアンブランのショップを訪れた。卸を行わず、直営店と自社サイトのみで販売される製品には、確かな品質への自負が宿っている。名だたる高級フレンチメゾンがイベント用のクロスをオーダーするという話にも、深く納得がいった。

※納屋を改装した歴史的な建物の中には、アンブランのアトリエ、ショールーム、ショップがある
「EMBRIN(アンブラン)」という名には、二つの意味が重ねられている。フランス語で「brin」は植物の茎や繊維の一筋を指し、同時にその響きは、海から届く潮風や波しぶきを意味する「embruns」に通じる。最高品質のリネンを育むのは、この海に近い土地特有の湿った潮風。ブランド名には、自然の恵みへの深い敬意が込められていたのだ。

※食事が終わる頃には、席を離れてお喋りが弾む
潮風を含んだ空気、足元に広がる土の色、そして手触りの良いリネン。あの「奇妙な食卓」で味わったのは、単なる料理ではなく、この土地の記憶そのものだったのかもしれない。
この日、麻の花の季節はとうに過ぎていたが、通り道に数輪だけ、可憐な青い花が咲いていた。農道にこぼれた種が、踏みしめられた土の下でゆっくりと時間をかけて芽吹いたのだという。そんな「嬉しい時差」が、私たちの訪問を歓迎してくれているようだった。

※季節外れの麻の花
Posted by ウエマツチヱ
ウエマツチヱ
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フランスで企業デザイナーとして働きながら、パリ生まれだけど純日本人の娘を子育て中。 本当は日本にいるんじゃないかと疑われるぐらい、日本のワイドショーネタをつかむのが速い。


