PANORAMA STORIES

ロンドンは大きな森 Posted on 2020/08/10 清水 玲奈 ジャーナリスト・翻訳家 ロンドン

メアリー・ポピンズが子どもの世話をするために訪れるバンクス家は、ロンドンの架空の道「桜町通り」にあり、「片側に、ずっと家がならんでいて、もう片側は公園」と説明されている。一度は立ち去ったメアリー・ポピンズがバンクス家に戻ってきた時も、子どもたちが公園で凧揚げをしていたら、空から降りてきたのだった。

シリーズ4冊目『公園のメアリー・ポピンズ』では、メアリー・ポピンズと子どもたちが公園に行くたびに、猫の星を冒険したり、一角獣に出会ったり、素敵な体験をする。姉のジェインは、公園の草地に小枝や草花を使って小さな公園を作り、弟のマイケルにこう説明する。「貧しい人たちの公園…だれもみんな幸福で、けんかなんかする人いないの」。メアリー・ポピンズにとっても、「桜町通りで一ばん小さい家」に暮らす子どもたちにとっても、公園は身近でなおかつ魔法のような場所だった。
 

ロンドンは大きな森

ロンドンの公園は今も、すぐそこにある聖域だ。この春のロックダウン中、イギリスでは国策として、一度も公園が閉鎖されることはなかった。「庭を持てない市民も平等に、野外を楽しむ権利が保障されるべきだ」というのがその理由だ。

ロンドン市内には大小合わせて3,000の公園があり、全体で総面積の18%を占め、約860万人の人口に対して木は830万本、つまり人間1人あたりほぼ1本の木がある計算だ。国連の定義によればロンドンは「森」なのだとか。世界最大のアーバンフォーレスト(都市森林)とも呼ばれる。
 




ロンドンは大きな森

以前は週末には美術館や博物館に出かけていた私たち親子も、毎日欠かさず公園に行くようになった。西ロンドンのわが家の徒歩圏だけでも、大小合わせて10数か所の公園がある。ロンドン市内のどこに住んでいても、いつまでも飽きないくらいの数と広さの公園に歩いて行ける。その事実の圧倒的な豊かさに、初めて気がついた。
 

ロンドンは大きな森

休校中のホームスクーリングでは、公園が教室になった。「左右対象」の図形問題で大きなチョウの羽をデザインし、それを背負って公園のお花畑で追いかけっこして遊んでいたら、本物のチョウにも、カブトムシにも出会った。図鑑を手に公園に行き、野鳥や雑草の名前を覚えた。ネコジャラシのような穂のある雑草「フォックステイル(キツネのしっぽ)」は近所の公園だけで10種類近く見つかり、都会の生物多様性に驚いた。
 

ロンドンは大きな森

今は、5年ぶりに帰省も旅行もせずロンドンで過ごす夏休みだ。時にはちょっと遠くの公園まで足を伸ばし、違った個性の公園を日替わりで楽しんでいる。林の中を探検したり、池でボートを漕いだり、白樺の木陰で砂遊びをしたり。夏休みが始まるまで「海に行きたい」とか「山登りがしたい」とか言っていた娘も、毎晩寝る前に「明日はあの公園に行こう」と楽しそうだ。
 

ロンドンは大きな森

ロンドン最大の公園は140ヘクタールにおよぶハイドパーク。それに宮殿のあるケンジントンガーデンズ、ロンドン動物園のあるリージェンツパークなど、ロイヤルパークと呼ばれる公園はロンドン郊外を含むと8カ所ある。これらはヘンリー8世が1540年代に修道院解散で没収した土地に作ったのが起源で、かつては王族の狩猟場だったが、19世紀に市民に開放された。

17世紀からは、湧水の泉を中心とした医療目的の公園や、市民のための娯楽施設のある公園が設けられた。都市化が進んだ19世紀には、労働者にも緑豊かな屋外空間を提供するため、さらに市の周縁部にも公園が作られるようになる。
 

ロンドンは大きな森

かつての貴族の庭園では、木々と水辺、歴史建築が見事に調和した風景が維持されている。たとえば18世紀に建築家として活躍したバーリントン卿の元邸宅チジック・ガーデンズ。19世紀の著名な建築家ジョン・ソーン卿の元別荘ウォルポールパーク。ロスチャイルド家の元別荘ガナーズベリーパーク。広大なこれらの庭園は、20世紀に一般公開された。
 

ロンドンは大きな森

公園ができた経緯はさまざまだが、幾何学模様に設計されたヴェルサイユなどのフランス式庭園とは対照的に、自然を活かし、あるいは再現しているのがイギリス式だ。手入れは行き届いているが、雑草もできる限り除草しない。リスや水鳥などの野鳥は中心部の公園でもよく見かけるし、郊外の公園にはシカやキツツキ、フクロウも生息している。同じ公園でも、訪れるたびに季節が進み、咲いている花も鳴いている小鳥も、木の葉の色合いも変わる。四季の移ろいを感じていると、心と体がほぐれていく。ロンドンが森なら、多数の動植物と一緒に暮らす人間もまた自然の一部なのだ。

ロンドンの夏は、セミが鳴かない静かな夏だ。8月には、池の水面に鮮やかな青色のトンボが飛び、その周りにはススキが穂を出す。ナラの大樹に緑色のドングリがなり始める。暑さは盛りだが、秋の足音が聞こえてきた。
 

ロンドンは大きな森

※ 引用はP・L・トラヴァース作、林容吉訳『公園のメアリー・ポピンズ』(岩波少年文庫)より

 

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Posted by 清水 玲奈

清水 玲奈

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Reina Shimizu
ジャーナリスト・翻訳家。東京大学大学院総合文化研究科修了(表象文化論)。著書に『世界の美しい本屋さん』など。ウェブサイトDOTPLACEで「英国書店探訪」を連載中。ブログ「清水玲奈の英語絵本深読み術」。