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自分流塾「ぼくがぼくであるために」 Posted on 2024/01/03 辻 仁成 作家 パリ

もし、イライラするなら、ちょっとだけ立ち止まって、今、自分がどういう気持ちなんだろうか、と自問してみてください。
というのも、意外なことに、ぼくもそうなんですが、自分が今、どういう気持ちでいるのか、どういう状態に心があるのか、わからない場合があるからです。
身体や心の声なき悲鳴に気が付く方法でもあります。
なんとなく、今の自分が不安定で、何かにイライラしているというのは、わかっていも、その深部、心の奥底が、どういう気持ちであるのか、人間って賢い動物ですが、その賢さや真面目さがアダになって、なかなか気が付かないものなのです。
ちょっと立ち止まって、自分のために、5分でいいので、自分を見つめる時間を作るのは、長い人生の中で、決して悪いことではありません。
もし、ぼくのように一人で生きている人間であるならば、独り言でいいですから、言葉にしてみてください。大丈夫です。心配しないでいいんです。
自分で自分のカウンセリングをしている、と思ってください。
「ええと、今の自分、どうですか?」
たとえばですが、こういう風に切り出してみましょう。
耳を傾けながら、心や身体に自分で問いかけるのです。
「元気? そうだね、元気だね。でも、何か心が暗いよね。雨だし、ちょっと人間関係につかれているかな、でも、そうだね、長い人生だから、よし、わかった。ぼくはちょっと人間関係で疲れていることを認めよう。でも、大丈夫だ。今までもずっと乗り越えてきたし、人生は長いんだから、自分を大切に乗り切っていこうね」
たとえばですけど、こんな風に、言葉にしてみるんです。
言葉にすることで、脳がしっかり再認識してくれます。あやふやだったことが形になるので、そう、安心できるんです。
で、そこから、とっても重要なことがあります。

自分流塾「ぼくがぼくであるために」



次に、心がけたいことですが、自分を否定しないようにします。
追い込まないことが大切だとぼくは思って、いつも、次にこう言うようにしています。
「ま、でも、自分を大切にしようよ。休めばいいし、ちょっと離れたらいいじゃん。いやなものや、イライラさせられるものを迂回していいんだよ。ぼくのせいじゃないし、ぼくはぼくでいようよ。大丈夫だから、ぼくはぼくのままでいよう」
これでいい。
ぼくはぼくのままでいよう、と言葉にすればいい。
誰かの悪口とか、愚痴はいっても、無意味です。そういうネガティブな思いは自分に戻ってくるので、必要ない、と思っておくといいです。
もっといけないのは、自分はダメだ、と思うことです。
「そんなのさ、世の中にこんなに人間がいるわけだから、自分だけが悪いなんてことはないじゃん。ぜんぜん、大丈夫だよ」
と自分に言葉で教えてあげればいいんです。
「そうだよな、その通りだ。ぼくはぼくでいれば大丈夫」
これでいいじゃないですか。大事なのは、自分に言葉で、言い聞かせることです。
しかし、注意点があります。カフェとか、電車の中では、やめておきましょうね。笑。
他人には、絶対にわからないことですし、親とかが聞いたら、心配するでしょう。
でも、心って、結局、言葉とか、声とかで、救われるものです。言葉の力、声の力、頼っていいんですよ。
声に出すことで、脳が理解し、そうだよな、と安心することができます。
「大丈夫、人生いばらの道だけれど、ぼくはぼくのままで、いけばいい。長い長い人生なんだから、焦ってもしょうがないしね」
ほら、言葉にすると、自分が聞いています。
全細胞に声で届けてあげればいいだけなんです。
他人への愚痴とかがよくないのは、それを脳が来ちゃうからです。舌打ちも、あまりよくないです。ぼくの場合ですが、舌打ちをしたら、
「ありゃあ~、今の取り消し。あはは」
と笑ってごまかすようにしています。
愚痴っちゃった場合は、笑って、取り消してください。それでいいんです。なんでもいいんです。
全部、大丈夫。安心してください。
そして、言葉にしてみましょう。
「大丈夫、ぼくはぼくでいればいいんだから」

自分流塾「ぼくがぼくであるために」

自分流×帝京大学



posted by 辻 仁成

辻 仁成

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Hitonari Tsuji
作家。パリ在住。1989年に「ピアニシモ」ですばる文学賞を受賞、1997年には「海峡の光」で芥川賞を受賞。1999年に「白仏」でフランスの代表的な文学賞「フェミナ賞・外国小説賞」を日本人として唯一受賞。ミュージシャン、映画監督、演出家など文学以外の分野にも幅広く活動。Design Stories主宰。