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自分流塾「自分らしさという幸福感についての考察」 Posted on 2021/01/26 辻 仁成 作家 パリ

君らしければいいんですよ、と誰かに言われることがあるのだけど、その「らしさ」が昔、ちょっとよくわからなかった。
人が思う自分らしさがどういうものか、考えてみるとますます、自分らしさとはなんだろうと悩んでしまう。
自分らしさ、とは、人と違う自分だけにあるものを指すのだろう。
個性ということも出来るし、オリジナリティということも出来るけど、問題なのは、これが自分らしい、というものが、自分にはあまりよくわからないということである。
「だって、それ自分らしくないから」と思わず口に出る時の、反論したくなる瞬間の、自分らしさというのが、もっとも世界と自分とを区分けするのにわかりやすい、大事な感覚かもしれない。
このままじゃ、自分が世界に取り込まれてしまうという反動から飛び出す「自分らしさ」を失いたくないという思いの中に、実はたくさんの個性やオリジナリティが眠っているのだと思う。
自分にはどうしても受け入れることが出来ずにいるものこそ、自分を見つめるために必要なものであろう。
だから、自分がもし、ちょっと不愉快なら、それはそこに自分らしさがあるということかな、とぼくは思うようにしている。

自分流塾「自分らしさという幸福感についての考察」



たとえば、17歳になったばかりのうちの息子にも「らしさ」はちゃんとある。
そればかりか、たまに遊びに来る10歳のニコラ君にも「らしさ」はすでに宿っている。
物心がついた時には、その人の根本の部分は出来上がっているのじゃないか、あるいは、すでに、生まれた時からその人なりの「らしさ」は先天的に与えられているものかもしれない、と思う時がある。
しかし、後に生じるさまざまな原因や環境のせいで、もしかすると本来持っていた「らしさ」が多少変化したりすることも考えられる。
なので、時々、ぼくは立ち止まり、自分らしい行動や考えとは何か、と熟考してみたりしている。

自分流塾「自分らしさという幸福感についての考察」



自分らしくありたいと思うことは、つまり、人間らしく存在出来ることであり、人間に与えられた最大の自由でもある。
まずは、自分らしいことが何かを、言葉なんかに出来なくてもいいので、しっかりと持つことが大事、だということかもしれない。
これって、めっちゃ自分らしいと思える時、行動できる時、そこに確固たる自分が宿っていることになる。

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ぼくは小さな頃から変わり者だった。「辻君ってほんとうに変わってるよね」とよく言われていた。
大人になっても、ずっと言われるので、変わり者、なんだろうなぁ、ということはだんだん、分かってきた。
若い時はそれがちょっと嫌だった。
でも、だんだん、みんなと違う自分にこそ個性があるんだ、と思うようになる。
思わないと生きにくいということもあったのだけど、人と違うことはもしかしたら、自分らしさであり、個性の表れなのだと考えるようになって、みんな同じ、みんな同じ方向を向いている人の中にいるより、自分が思う方をたった一人であろうと見つめていられる方が自由だし人間らしいんじゃないか、と肯定していくようになったら、まず、気持ちが楽になったし、堂々と変わり者でいられるようにもなった。笑。
「大丈夫っす、辻さんなら何でもOKです」と10年くらい前に、青山でかなり若い女性に太鼓判を押されたことがあって、なんだか、とっても嬉しかった。
人と一緒じゃなくてもいいのだ、という当たり前のことがなかなか許されない世界ではあるけれど、自分らしさを、何も誤魔化す必要もないし、逆に、ぼくはことさらひけらかすこともしないようになってきた。
長く生きたからか、自分らしい自分がだんだん分かってきたので、腑に落ちるというのか、今は、他人と異なる自分を愛おしく思えるようにさえなっている。
そういう風に、自分を認めてあげられると、自分が幸せになる。

自分流塾「自分らしさという幸福感についての考察」



他人には理解出来ない幸福かもしれないけれど、自分の人生なのに、人の目とか意識して生きることくらい息苦しいことはない。
他人というのは、とかく、いろいろと言いたい人たちだと、最初に割り切っておくことも大事で、その他人の視線を気にして生きたら、残念なことに、自分を捨てないとならなくなる。
独裁主義の国で生きることの苦しみと同じことを味わうことになる。
人間らしさとは、まず、自分を認めることからはじまるのだ。
自分を許すことであり、自分を愛すること。
自己嫌悪というのは、つまり、悪いことじゃなく、誰よりも自分を謙虚に見つめられている証拠でもあるのだから、落ちこむ必要はなし。
逆に、調子のいい自分らしさはただの自己中でしかない。
まわりなど気にせず、自分を大事に生きている人の「自分らしさ」はお仕着せがましくもなく、ナチュラルな魂の発動だと思う。
人間には人間の数だけ、生き方や幸せがあるのだということを理解出来れば、おのずと自分の人生には豊かな色彩が宿ってくる。
何も苦しむ必要はない。
自分が正しいと思うこと、誰かに命令されるわけではなく、誰かに迷惑をかけることもなく、人間は自分の思い通りに生きて行く権利があるのだから、その小さな宇宙を解き放てばいいのである。
ああ、なんて自分らしいのだろう、ともしも気づくことが出来たなら、それって、どれだけ幸福なことなんだろうね。

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posted by 辻 仁成

辻 仁成

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Hitonari Tsuji
作家。パリ在住。1989年に「ピアニシモ」ですばる文学賞を受賞、1997年には「海峡の光」で芥川賞を受賞。1999年に「白仏」でフランスの代表的な文学賞「フェミナ賞・外国小説賞」を日本人として唯一受賞。ミュージシャン、映画監督、演出家など文学以外の分野にも幅広く活動。Design Stories主宰。